コラム・連載

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話

民族の公認をめぐる試行錯誤~中国の民族政策におけるソ連の影響

2024.11.20|text by 千原 靖弘(内藤証券投資調査部 情報統括次長)

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日本人は民族意識が希薄だ。日本人という自覚はあっても、大和民族と意識すること極めてまれだし、民族名を忘れている人も多い。

しかし、中国人は違う。中国本土で民族名とは、氏名、生年月日、性別と同列の個人情報。身分証にも記載され、表明する機会も多い。そうした国情の背景には、ソビエト連邦を建国したレーニンの思想があった。

ソ連の行政区画(1983年)
白色は下位区分のない「共和国」、黄色は「州」、緑色は「地方」
オレンジ色は「自治共和国」、紫色は「自治州」、ピンク色は「自治管区」
レーニンは民族自決権を重視し、大多数の「抑圧民族」に支配される「被抑圧民族」の解放を推進。これには民族運動を満足させることで、少数民族を階級闘争に集中させる狙いもあった。それゆえソ連には「自治」を冠した「共和国」「州」「管区」が多数存在した。

そうしたソ連の影響を受け、中華人民共和国でも、少数民族の自治権を認める「区」「州」「県」などを設置することになった。

そこで、すべての中国国民について、どの民族に帰属するのかを調査する「民族識別作業」を実施したが、非常に困難な作業だった。届け出があった民族名が、1953年時点で400種類を超え、あまりにも多すぎたからだ。

そもそも、西洋由来の「民族」という概念について、中国では定義が曖昧だった。また、自分は「どこの人」「どんな家系」という「地縁」「血縁」の帰属意識はあっても、民族意識はないという人々も多かった。

民族識別作業のために貴州省を訪問した中央西南民族訪問団
中央の人物は団長の費孝通(1950年)
費孝通は1957年の反右派闘争から20年間も不遇の身に。
名誉回復後は全人代常務委員会の副委員長などを歴任。
ジーヌオ族(基諾族)の女性たち
ジーヌオ族は2020年時点で2.6万人
「三国志」で有名な諸葛亮孔明を崇拝することでも有名。
祖先は孔明に従い、孟獲を討伐したという伝承がある。
そこで中国政府は学者を総動員し、少数民族の言語、生活様式、文化、歴史などを調査。その成果を集約し、1954年に38種類の少数民族を公認した。だが、これに不満が続出。反目し合う集団同士が、同一の民族に集約されたり、同族意識のある集団が、別々の民族に分割されたりしたことが、その原因だった。

こうした結果への不満を背景に、1964年の調査でも、届け出があった民族名は183種類を超えた。そこで再整理を実施し、53種類の少数民族を公認。その後も民族識別作業は続き、1965年にチベットのローバ族、1979年に雲南のジーヌオ族を公認した。

こうして漢民族と55種類の少数民族が公認され、今日に至る。だが、いまでも民族識別作業の結果には、多くの課題が残っている。

例えば、独特の女系社会で有名な雲南のモソ人(摩梭人)は、その言語などを根拠に、ナシ族(納西族)に帰属したが、それに異議を唱える人もいる。なお、その場合は「納西族(摩梭人)」や単に「摩梭人」のように表記することも可能。民族名の表記は、わりと柔軟だ。

また、どの公認民族にも帰属しない中国国民も存在し、その数は2020年でも80万人を超え、人口が中規模の少数民族よりも多い。

民族名が「穿青人」と記された身分証
貴州省山間部に住む「穿青人」は政府公認の民族名ではない。
「穿青人」は明王朝初期に華中から貴州に赴いた派遣軍の末裔。
政府は上記の歴史に基づき「穿青人」を「漢民族」として公認。
だが、「穿青人」の多くは自身を独立した民族と考えている。
上記の事情に配慮し、身分証に「穿青人」として登録可能。
その人口は70万人近くに上るとみられる。
民族の区別は単純な帰属意識の問題ではない。「各民族は一律平等」と憲法で定めているが、「被抑圧民族」とされる少数民族は多方面で優遇される。これを不公平に感じる漢民族も多く、民族の区別が対立を促すという指摘もある。そこで近年は民族を区別するソ連式ではなく、「中華民族」の概念を強調し、米国の「人種のるつぼ」のような「民族融合」を模索。だが、これを米欧は「民族浄化」と批判する。ソ連式から米国式への転換を図る中国の民族政策だが、道のりは遠い。

 

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話
次回は12/5公開予定です。お楽しみに!

バックナンバー
  1. ~内藤証券アナリストが書く~
    中国よもやま話
  2. 44. 民族の公認をめぐる試行錯誤~中国の民族政策におけるソ連の影響NEW!
  3. 43. 「あなたは何民族ですか?」~日本人と中国人の大きな違い
  4. 42. 洋の東西で同じ答えに~収斂進化した会計技術
  5. 41. これぞ「文明の利器」なる~王朝の誕生に会計あり
  6. 40. 商売の神様は実在した人物~彼が神たる理由とは?
  7. 39. 見た目は違うが、生まれは似ている~日本の「株式」と中国の「股份」
  8. 38. 香港市民の窮屈な生活~劣悪な住宅事情
  9. 37. 香港の“街並み景観”に歴史あり~租借地と王領植民地の違い
  10. 36. すべては英国王の手中に~英領香港の土地制度
  11. 35. “割当品から商品へ”~中国本土の住宅市場勃興
  12. 34. “所有権はないが、不便もない”~中国本土の土地制度
  13. 33. 労働力需要で犯罪組織が誕生~明治日本と改革開放中国の共通点
  14. 32. 香港裏社会に暗躍する三合会~返還後の表社会にも及ぶ影響力
  15. 31. 香港犯罪組織の系譜~数百年に及ぶ「洪門」の伝統
  16. 30. なぜ犯罪組織が人気?~中国起源の任侠道が果たした社会的役割
  17. 29. 21世紀版のグレート・ゲーム~ウイグルをめぐる情報戦
  18. 28. 現代の屯田兵~新疆生産建設兵団
  19. 27. 新疆ウイグル自治区は東西交易の要衝~現代も続く「西域経営」
  20. 26. 東トルキスタン独立運動と西側諸国の連帯~ウイグル人が歩んだ歴史
  21. 25. 中国の街で目立つウイグル人~民族移動と人種的変容
  22. 24. チベット発展の秘策とは?~天国に最も近いタックス・ヘイブン
  23. 23. 神秘な世界の複雑な裏側~チベットの“化身ラマ制度”
  24. 22. 人を拒む神秘の地~異質で過酷なチベットの環境
  25. 21. 情報の真偽をめぐる混乱と論争~昔も今も中国は“遠い国”
  26. 20. 隋王朝に始まる中国経済の挑戦~言葉に映る南北の相違と一体化
  27. 19. 黄河文明と長江文明の融合と摩擦~中国の南北対立
  28. 18. 中国南北相違の原点~東アジアで異色な中国北部の小麦食
  29. 17. 漢字は同じでも、ひと味違う~複雑に絡み合う“麺料理”の概念
  30. 16. 現代中国の“漢服ルネサンス”~漢民族の服飾文化の探求
  31. 15. “人民服”の歴史的変遷~国民服から最高指導者の正装へ
  32. 14. 元々同じ圓が結ぶ奇妙な縁~東アジア一円の通貨
  33. 13. 誰もが彼らを無視できない~香港の摩天楼に潜む陰の実力者
  34. 12. 中国の人々を鼓舞する名曲~中国国歌の「義勇軍進行曲」
  35. 11. 伝統的バイオテクノロジーの傑作~茅台酒が高価な理由
  36. 10. 世界に目を向けよう~国際分散投資の魅力
  37. 09. なんでも漢字で表記~奥深い中国語名の世界
  38. 08. 自由を追い求める姿~中国の投資家たち
  39. 07. “口にすべし、楽しむべし”~中国的可楽世界
  40. 06. “いままで”と“これから”~EV投資をめぐる視点の違い
  41. 05. 株式市場を育てる順序~ミャンマーと中国の違い
  42. 04. 対中情報戦の犠牲者~王立強事件の空騒ぎ
  43. 03. 全国展開可能な中華料理~アメリカザリガニの恵み
  44. 02. 強烈すぎるこだわり~中華的な数の世界
  45. 01. イメージの先に在るもの~中国株投資の魅力

筆者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券投資調査部 情報統括次長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。


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  1. ~内藤証券アナリストが書く~
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  2. 44. 民族の公認をめぐる試行錯誤~中国の民族政策におけるソ連の影響NEW!
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  14. 32. 香港裏社会に暗躍する三合会~返還後の表社会にも及ぶ影響力
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  19. 27. 新疆ウイグル自治区は東西交易の要衝~現代も続く「西域経営」
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  31. 15. “人民服”の歴史的変遷~国民服から最高指導者の正装へ
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  45. 01. イメージの先に在るもの~中国株投資の魅力