中国本土の株式会社は、社名の最後がもれなく「股份有限公司」となっている。この「股份」とは、株式という意味だ。
老中の水野忠邦
天保の改革で株仲間を解散
株仲間の構成員が所持した株札
江戸北町奉行だった遠山影元
「遠山の金さん」のモデル
株仲間の再興に尽力した
日本の「株式」は、江戸時代の「株仲間」に由来する。株仲間は同業の問屋によるカルテル組織。「株」を持つ問屋だけが、その構成員となれた。植物は一つの株から多くの枝や根が生える。その様子から、この言葉が組織と構成員を表すのに使われたのだろう。
一方、中国の「股份」は漢字だが、多くの日本人にとって意味が分からない。
ところが、明治時代には「股分」という言葉を使った日本人がいた。人偏はないが、「股份」と同じ意味だ。この言葉を使ったのは、幕末明治に活躍した箕作麟祥(みつくり・りんしょう)。1846年に生まれた箕作は、幼少から漢学、蘭学、英学などを学び、1867年にフランスに留学。帰国後の1874年にフランスの諸法典を訳した「仏蘭西法律書」を出版し、近代法典とは何かを当時の日本に知らしめた。
1896年に公布された「明治民法」は、フランス民法典を母体としており、箕作が「法律の元祖」と呼ばれるゆえんだ。
箕作は「憲法」や「不動産」など多くの漢語を創作した。これらの和製漢語は、いまの中国でも使われる。箕作は「仏蘭西法律書」の中で「股分」という漢語を使い、これに「ワケマイ」(分け前)という傍訓を付けた。
明治時代に創作された膨大な和製漢語は、現代中国語に取り入れられた。それゆえ、いまの中国で使われる「股份」も、箕作が創作した和製漢語のように思える。
箕作麟祥
(1891年撮影)
だが、事実は異なる。幕末の日本に西洋事情の情報をもたらしたのは、中国からの輸入書物だった。つまり、中国から日本へ新しい漢語「華製新漢語」が流入していた。
清朝末期の1862年に創設された北京の同文館は、外国語を操る人材を育成する教育機関。ここで活躍した米国人宣教師のウィリアム・マーティンは、国際法を中国語に翻訳し、1864年に「万国公法」を出版した。
この書物は幕末の日本に大きな影響を与え、坂本龍馬なども愛読。この中で使われた「国債」「現在」「国会」など、西洋の知識を吸収した華製新漢語は、いまの日本でも使われる。近現代の日中両国は、漢語という共通の書き言葉を通じ、互いに影響し合っていた。
ウィリアム・マーティン
中国語の「万国公法」を出版
幕末日本に影響を及ぼした
同文館ではフランス人の化学教師が、母国の諸法典を中国語に訳し、1880年に「法国律例」を出版。この書籍で「股分」という言葉が使われており、それを箕作も見たわけだ。つまり、「股分」は中国由来だった。
では、「股分」はフランス人が創作した華製新漢語なのかと言えば、それは違う。
中国では明王朝の時代から、山西商人が共同事業に「股分」という言葉を使用。銀貨の出資者には「銀股」、労働力の提供者には「身股」を割り当て、これらの「股分」に応じて利益を分配した。一本の縄などを構成する一筋一筋の糸を「股」ということから、これが共同事業の一部を表すようになったのだろう。同じ意味の「株式」と「股份」は、漢字こそ異なるが、言葉の成り立ちは似ている。