黒社会の代表的人物である劉漢
漢龍集団を経営、総資産は数百億元
篤志家としても有名
四川省政治協商委員を3期歴任
裏の顔は犯罪組織のボス
後ろ盾は中央政治局常務委員の周永康
周永康の失脚で、劉漢の悪運も尽きた
中国共産党(共産党)が統治する中国本土でも、犯罪集団の存在が暴かれることがある。そうした悪者どもの界隈を「黒社会」と呼ぶ。
黒社会の犯罪集団は、改革開放政策による高度経済成長の副産物だ。正業を営んでいた地方の商売人や無頼漢が、賭博や売春などの違法ビジネスに手を出すうちに、犯罪集団と化したケースが典型。その経済力を背景に、地方の共産党幹部と癒着することも多い。
法廷で泣き叫ぶ劉漢(2014)
9件の殺人を含む15件の罪で死刑に
劉漢も自分の命だけは惜しかった
死刑は2015年2月に執行された
黒社会の犯罪集団は、公安当局の重点取締対象であり、潜伏して活動していることから、その存在が一般に知られる機会は少ない。
一方、中国共産党の支配が及ばない香港、マカオ、台湾には、歴史の長い犯罪組織が暗躍し、その存在は一般にも知られている。
和勝和の元老“上海仔”こと郭永鴻(白い服)
背後にいるのは和勝和の構成員たち
香港の犯罪組織は「三合会」(トライアド)と呼ばれ、三大組織の「14K」「新義安」「和勝和」のほか、その分派が多数存在する。
台湾最大の黒幇「竹聯幇」の黄少岑
二代目幇主
台湾では戦後に「黒幇」と呼ばれる犯罪組織が相次いで誕生。なかでも「竹聯幇」「四海幇」「天道盟」は三大組織と呼ばれる。
日本の犯罪組織である暴力団では、「仁義」や「任侠道」(仁侠道)などの言葉が使われる。ヤクザ者には「侠客」という美名もある。
これらの言葉の起源は、古代中国にある。紀元前の中国で侠客は「游侠」あるいは単に「侠」などと呼ばれ、漢王朝の時代には朱家や郭解などの侠客が、天下に名を馳せた。その生き様は、司馬遷の「史記」游侠列伝や班固の「漢書」游侠伝に記録されている。
「史記」游侠列伝を著した司馬遷 もっとも、侠客に対する見解は、司馬遷と班固で大きく異なる。司馬遷は「その行いは正義から逸脱するが、その言葉は信頼でき、行動で果たす。約束に誠実で、わが身を惜しまずに人を助け、自慢しない」と賛美する。一方、儒教思想を重んじる班固は手厳しく、社会秩序を乱す侠客は抹殺すべきと論じる。
1996年の香港ヤクザ映画「古惑仔」 このように、ヤクザ者をめぐる意見の対立は、古代から存在し、今日まで続く。日本では古くから国定忠治や清水次郎長の物語が愛され、ヤクザ者を扱う映画や漫画は現代でも定番。香港でも“三合会”の映画が人気だ。
人情味のある無法者が愛される背景には、法で救われない人々を彼らが救済するという物語がある。また、公権力の及ばない無法状態で、侠客が人々を助ける話も好まれる。
世界を見れば、犯罪組織の社会的影響力が大きな地域は、「大陸法」の法域や公権力が行き届かない地域が多い。一方で「英米法」の法域や厳格な宗教国家は少ない。
19世紀初頭の大法官法廷
エクイティは公平性と柔軟性を重視
大法官は良心に従って個別に救済を施した
“成文法”が中心の「大陸法」は、国家と国民の関係を規律する“公法”から発達したが、“慣習法”の「英米法」は私人同士の関係をめぐる“私法”から発展した。英米法はコモンロー(普通法)とエクイティ(衡平法)の二本立て。厳格なコモンローで救えない人々を大法官が柔軟に個別救済したのがエクイティの始まり。日本で言えば、 “大岡裁き”だ。
「英米法」の法域では、普通の法で救われない人々をエクイティで救済し、宗教国家では聖職者がその役を務め、そこにヤクザ者の出番は少ない。犯罪組織の社会的影響力の地域差は、誰が救済者だったかの違いでもある。