第28回
腸内細菌叢による世代間の情報伝達
前回の続き。
母親のストレスが養育によって子供に伝達されるという話だが、その機序として、幼少期に与えられたストレスは、脳の神経回路の変化とともに、ストレスに対する腸の反応の鋭敏化をもたらすという。
そして幼少期のストレスが、腸や脳ばかりか、腸内細菌叢にも深甚な影響を及ぼすことが明らかになった。
しかしこの事だけなら腸内細菌叢やそれが生成する代謝物質の変化が関係するのは、母親のぞんざいな養育による「心理的な」影響の為であり、世代間で母親が受けたストレスを引き継ぐのとは異なる。
このことに加えて近年、母親が受けたストレスが、その子供の腸内細菌叢の構成を変えることが解った。そして腸内細菌叢が脳にこれらの情報を送りこれらの記憶を伝達していたと言うのだ。
つまり、腸内細菌叢が世代間の情報伝達を介助していたのだ。
しかし疑問として起こるのは、胎児の段階では、腸内にほとんど腸内細菌が宿っていない。ではどうやって、母親の腸内細菌叢が子供に伝わるのだろうか?
実はストレスによって変化するのは母親の腸内細菌叢だけではなく、腟内の細菌叢の構成も変化することがわかった。それが新生児の腸内細菌叢の構成に多大な影響を及ぼすというのだ。
新生児の腸内細菌叢の構成は、一番最初に母親の腟内細菌叢が影響する。つまり膣内において新生児は最初の細菌叢に晒され、これがその後の腸内細菌叢構成の基になるというのだ。つまり、ストレスを受けたマウスの母親は、その母親と同じ腸内細菌叢構成を持つ子を宿す。 このストレス効果は、新生児の腸内細菌叢と脳の神経回路の複雑な構造が、恒久的にプログラミングされるきわめて重要な時期に起こるので、その後の脳の反応などにも大きな影響を与える。
これは健康な妊娠であっても、臍帯血、羊水、胎便、胎盤に、母親の腸内細菌が検出される。そして、分娩の時期が迫ると、腟内細菌叢は大幅に変化する。微生物種の多様性は低下し、通常は小腸に見られる乳酸菌が優勢になるのだ。
分娩時、自然分娩(つまり帝王切開ではなく)で生まれる新生児は、この優勢になった乳酸菌を含む母親の腟内細菌叢にさらされる。
これは、乳児の腸に腸内細菌叢が形成される際に重要な基になる。このようにして、母親が持つ腸内細菌叢の独自のレシピが、その子供へと受け継がれるのだ。
腸内細菌叢が世代間の情報伝達まで行っているとはちょっと驚いたのでは無いだろうか。
ところで、どうしてこの様なシステムが存在するのだろう?
母親の嫌な記憶など伝達して欲しく無いもんでしょ?
それは、一般的にストレスというのは悪い情報だけでは無いと言うことだ。生まれたての子供に、外界に潜む数々の危険に対して反応するストレスシステムをプログラミングし、成長後に直面しなければならない危険な環境に対する準備を整えられるよう、脳のプログラムにこれらの情報を追加するのだ。そして、多世代にわたり伝達されたこれらの情報伝達はストレス反応に関与するおもな遺伝子にメチル基を付加することで、これらの情報が「本能」として脳に記憶されて行く。
このシステムは、人類が野生生活をしていた時代には大いに役立っていた。危険な動物から逃げたり、毒のある食物を避けたり直接生命に関わる重要な情報が伝達されていた。現在でもこのシステムは、不運にも戦争や自然災害に遭遇した地域の人々がその環境に対して上手に対処する適応力を与えていると言われている。一応平和な国に暮らす我々だって結構ストレスありますもんね。やっぱり我々も多少は恩恵被っているんでしょうね?
ちなみに腸内細菌叢(フローラ)の移植でこれらの危機管理能力って移植できるんでしょうかね?ちょっと興味ないですか?
著者プロフィール
Dr.中川 泰一
中川クリニック 院長
1988年関西医科大学卒業。
1995年関西医科大学大学院博士課程修了。
1995年より関西医科大学附属病院勤務などを経て2006年、ときわ病院院長就任。
2016年より現職。
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