時間が許す限りその場にいる全員にサインしようと
努めるフィル・ミケルソン(photo: 舩越園子)
1か月ほど前、とてもユニークなオークションをウェブ上で発見した。
「フィル・ミケルソンとゴルフをする」という権利が“出品”されており、5万ドルから始まったその“商品”には、すでに8万ドル超まで値が吊り上がっていた。「最終的には25万ドルぐらいで落札されるのでは?」という予想も出されていた。
そのオークションのサイトには、他にも大小さまざまなものが“出品”されていた。有名人ではなくても、たとえば、ある映画の元プロデューサーとランチをご一緒する権利とか、おしゃれアドバイザー的な女性と2時間ほど会話する権利などなど。「それって誰?」という程度の知名度と思われる人物もおり、希望者ゼロであることが一目瞭然の“商品”も多々ある。
その中に、メジャー5勝を含む米ツアー通算42勝で、ゴルフ界のスーパーヒーローであり、米国の国民的スターでもあるミケルソンの名前があることに、ちょっぴり違和感を覚えた。
ミケルソンは昔から自分自身のイメージを大切にしてきた選手だ。1992年にプロ転向し、米ツアー参戦を始めたばかりだった彼と、その昔、こんなやり取りをしたことがあった。
「ハンバーガーが大好き」と公言していたので、そういう気さくで庶民的な雰囲気を日本の読者に伝えたいと思い、「大きな口を開けてハンバーガーを食べようとしている姿を撮影させてくれますか?」と尋ねた。するとミケルソンは「絶対ダメ。そんな写真が出たら、僕のイメージに関わる!」と頑なに拒否。
そんな遠い昔の出来事を思い出しながら、こういうオークションに見せ物のように“出品”され、もしも高値が付かなかったら、それこそイメージ悪化につながるのではないかと首を捻ってしまった。
だが、謎はすぐに解けた。このオークションは米国の負傷兵や帰還兵への心身の治療のための寄付を募るチャリティ・オークションであることを知って、「ああ、なるほど」と頷かされたのだ。
繊細な心の持ち主であるミケルソンは、細かいことに気を遣う一方で、「これだ!」「今だ!」と感じたときは、猪突猛進、全力投球になる。常に勝利を目指し、メジャー優勝を究極の目標に据える。その姿勢は昔も、そして47歳になった今でも変わらない。
アリゾナ州立大学在学中、アマチュアにして米ツアー初優勝を遂げたミケルソンは、プロ転向後も次々に勝利を重ねた。だが、メジャー大会では優勝目前まで迫りながら最後の最後に崩れて惜敗することの繰り返し。「詰めが甘い」「攻めすぎるから負ける」「難しい技に不必要にトライするから失敗する」などと批判され、批判されればされるほど頑なになった時期もあった。
そんなミケルソンに大きな変化が見られたのは、2004年マスターズを制し、悲願のメジャー初優勝を遂げた後だった。
メジャー優勝後は、チャリティに尽力
ミケルソンが愛妻エイミーとともに「フィル&エイミー・ミケルソン財団」を創設したのは、マスターズ初優勝から数か月が経過した2004年の夏ごろだった。経済的に困窮し、教育が受けられない子供や青年、そして大人にも必要な教育を受けさせてあげたい。それが、ミケルソン夫妻が財団を創設した当初の目的だった。
2005年に全米プロを制し、2006年にはマスターズ2勝目、メジャー3勝目を挙げたミケルソンは、エイミーとともに、次なるチャリティを立ち上げた。それが、米国の軍人たちを支援するための「バーディー・フォー・ザ・ブレイブ・プログラム」だった。
バーディーを1つ取るたびに100ドル、イーグルなら500ドルを寄付するという仕組みは、当時は画期的なアイディアとされ、周囲を驚かせた。後に、このプログラムはミケルソン財団のみならず米ツアーが実施するチャリティ・プログラムへと発展。創設10周年を迎えた2016年には、ミケルソンはキャリアビルダー・チャレンジという米ツアー大会の「大会アンバサダー」に任命されるなど大きな栄誉を授かった。
そもそもミケルソンは、チャリティのための財団やプログラムを創設する以前、いやいや、プロ転向した当初から、ファンへのサービス精神が誰よりも旺盛。その姿勢はずっと一貫している。
ロープ際でサインや握手を求めるギャラリーたちに30分でも1時間でも対応する。他選手たちがロープ際のほんの数人だけにサインして、足早に去っていくときでも、ミケルソンだけは、その場にいる全員にサインしようと努める。
ただサインするだけではなく、一言ずつ言葉を交わし、相手の目を見て話す。記念写真にも収まる。ファンを喜ばせることに対しても、彼はいつも全力投球だ。
だからこそ、ファンもミケルソンが大好きになる。試合会場のクラブハウス近辺で人だかりができていたら、「ああ、あの輪の真ん中にミケルソンがいる!」とわかるほどだ。
人々から押し上げられるヒーロー
2009年の初夏。ミケルソンの愛妻エイミーと実母メアリーが同時に乳がんと診断され、ミケルソンはしばらくツアーから離れ、エイミーの治療に付き添うことを発表した。
すると、その翌週の米ツアー会場では「エイミーやフィルとその家族を励ますために、みんなでピンク色を身に付けよう!」という運動がどこからともなく起こり、試合会場は文字通り、ピンク一色で埋め尽くされた。その様子をテレビで見たミケルソン夫妻は「とても勇気づけられた。みなさん、ありがとう」と涙を流した。
ミケルソンとエイミーが日頃から社会貢献に力を注ぎ、ファンサービスに努めてきたからこそ、あの試合会場がピンク色に染まったのだ。与える者は、与えられるということを、あのとき私も実感した。
ミケルソン財団のチャリティ活動の対象には、「教育」「軍隊」のみならず、2009年以降は「乳がん撲滅」も加えられ、活動の規模も範囲もどんどん拡大されている。
そうやって社会貢献に努める一方で、現役選手としての一層の活躍も見せるところがミケルソンの素晴らしさだ。2010年には3度目のマスターズ制覇を成し遂げ、18番グリーンの奥で弱々しく立って待っていたエイミーを抱き締め、「キミに捧げる優勝だよ」と熱いキス。あの抱擁シーンは世界中の涙を誘った。
2013年には全英オープンを初制覇。長年、「ミケルソンは全英オープンは不得意、不向き」と言われ続けながら、そんな世間の定説を覆し、見事に優勝トロフィーのクラレットジャグを掲げた。
ゴルフ界の未来のための協力や貢献も、もちろん惜しまない。AJGA(全米ジュニアゴルフ協会)の選手理事を務めたり、大会をサポートしたり。出身地のサンディエゴでは毎年、大規模なジュニアゴルフクリニックを開催。その際は、何十台ものスクールバスが活用され、全米中から大勢の子供たちが集まってくる。
ミケルソンが国民的スターである理由は、彼が大勢の人々に惜しみなく与えているからこそ――。
彼が永遠のヒーローへと押し上げられるのは、いわば人々からの「「お返し」なのだ。