米ツアーにフェニックス・オープンという大会がある。松山英樹が2016年と2017年にプレーオフを制して勝利を挙げた大会。3連覇を目指した今年、開幕前の会見に臨んだ松山は、50年以上も昔にこの大会で3連覇(1961~1963年)を達成した故アーノルド・パーマーに言及し、人々に尽くしたパーマーのように自分も成長したいと言った。
メジャー7勝を含む通算62勝。攻撃的なゴルフと奇跡のようなリカバリーで人々を魅了したパーマーは、誰からも愛され、尊敬されるゴルフ界のキングだった。
2016年9月に87歳で逝去。優しく気取らない人柄だったキングは、ゴルフ界のみならず社会全体にたくさんの足跡を残した。
黄金期は60年代。その当時からパーマーは、病気で苦しむ人々、とりわけ小児がんと闘う子供たちを愛妻ウィニーとともに気遣い続けた。
こんな有名な逸話がある。80年代半ばごろ、フロリダ州オーランドの自宅近くにあるメディカルセンターを愛妻ウィニーとともに訪問したパーマーは、決して設備や体制が十分ではなかった医療現場の現状を目の当たりにして、思わず、こう言ったそうだ。
「We can do better.(もっと良くできる)
We should do better.(もっと良くすべきだ)」
それから数年後、パーマーは地元に「アーノルド・パーマー・ホスピタル・フォー・チルドレン」と名付けた小児病院を設立した。そして愛妻ウィニーは「ウィニー・パーマー・ホスピタル・フォー・ウイメンズ&ベイビーズ」と名付けた病院を設立。
そんなふうにパーマー夫妻とパーマー・ファミリーの社会貢献は、常に有言実行だった。
亡くなった年の3月。アーノルド・パーマー招待の試合中、自らカートのハンドルを握り、試合を観戦しながら人々と交流していたパーマーの姿はいつもの光景だった(photo: 舩越園子)
あるプロモーションビデオ
今でも忘れられないことがある。晩年のパーマーは健康状態が優れない日々が増え、ゴルフクラブを握る機会が減っていたが、それでもクリスマスには小児病院のプロモーションビデオに自ら出演。その内容と演出が心優しいパーマーらしかった。
「パーマーがクリスマスを救う」と題されたビデオの冒頭は、クリスマスでも病院から自宅へ戻ることのできない重病、難病の子供たち数人が代わるがわるに登場。その中で、ちょっぴりおませな感じの女の子が「サンタクロースは、たぶんここには来られないわ。だって、この病院には大きな煙突がないんだもん。それが問題なのよ」と言ってみせる。
そこで颯爽と登場したのがパーマーだった。子供たちからの手紙を読んだパーマーは、すぐさまサンタクロースに電話をかけ、「ヘイ、サンタクロース! 私だ。アーニーだ。キミを待っている子供たちがたくさんいるんだ。必ずここに来てくれよ」と頼む。
そして、クリスマスの朝。病室のベッドサイドでサンタクロースからのプレゼントを見つけた子供たちは笑顔を輝かせるというこのビデオは、実話ではないとわかっていても、見ていて涙が溢れた。
ある1通の手紙
パーマーの逝去から1か月ほど経った10月のある日、驚きのニュースが報じられた。
8月の全米アマチュア選手権でトップ4になったミシガン大学の学生ゴルファーの元に、亡くなる1か月前にパーマー自身がしたためたと思われる手紙が届いたのだ。
「おめでとう。どんな道を選ぶにしても、未来をしっかり歩んでほしい」
子供たち、若者たちのすべてを我が子のように愛おしむ。そんなパーマーらしい心のこもったメッセージが手紙に記されていた。
その学生はパーマーからの手紙を額に入れ、毎日、眺めて励みにしているそうだ。
「会ったことも話したこともないけど、僕の中でミスター・パーマーは永遠だ」
パーマーの在り方
トッププレーヤーに対しても、草の根のミニツアーで腕を磨く下積みの選手に対しても、パーマーは常にリスペクトの念を込め、いつも同じ態度で接していた。
プロゴルファーが偉いわけではなく、スポンサーがいて、ファンがいて、メディアがいてくれるからこそ、プロゴルファーが生きていけるということを、いつもパーマーは口にしていた。
「サインをするときは、それを受け取ったファンが何年も経ってから取り出したときでも、それが誰のサインなのかわかるようにサインしなさい」
それが、ファンを大切にするパーマーが後輩プロたちに贈った基本中の基本のアドバイスだった。
現在の米ツアー選手の中で最もファンサービスに熱心と言われているのは米国の国民的スターであるフィル・ミケルソン。そのミケルソンが「そういうミケルソン」に成長したきっかけも、やっぱりパーマーだった。
パーマーが最後に出場した全米オープンは1994年大会。まだプロ3年目の若者だったミケルソンは、ラウンドを終えたパーマーが汗だくで疲れているその足でボランティアテントに直行し、何十名ものボランティア全員と笑顔で握手を交わす姿を目の当たりにした。
「かっこいい。僕もパーマーのような選手になりたい」
パーマーに強い憧れの念を抱いたミケルソンは、それからというもの、サインを求めるファンの大群に30分でも1時間でも対応するサービス精神旺盛なミケルソンになった。
パーマーのお膝元のベイヒルで開催されるアーノルド・パーマー招待という大会が豪雨に見舞われときのこと。川のようになったフェアウエイを長靴姿でバシャバシャと先頭切って歩き始めたのもパーマーだった。
寄付だけではなく、チャリティイベントを開くだけではなく、病院も設立すれば、水たまりに率先して入ってもいく。ゴルファーだけではなく、子供たちにも、学生にも、誰にでも優しく、誰に対しても尊敬の念を忘れない。パーマーの社会への貢献は、そういうものだった。
だから彼は、誰からも愛された――。