今年の全米オープンはスペイン出身の26歳、ジョン・ラームが大混戦を制してメジャー初優勝を挙げ、大いに盛り上がった。
難コースのトーリー・パインズでは初日からスター選手たちによる熱戦が繰り広げられ、文字通り、最後の最後まで誰が勝つかわからない接戦だったが、2日目が終わったとき、リーダーボードの最上段にあったのは見慣れない名前だった。
英国出身のリチャード・ブランド。無名の新人かと思ったが、シニア入りが迫る48歳という年齢を知って驚かされた。全米オープンを主催するUSGA(全米ゴルフ協会)によれば、2日目終了時点での48歳の首位は、大会史上最年長とのこと。
ゴルフのメジャー大会の世界では、今年5月にフィル・ミケルソンが50歳で全米プロを制し、メジャー最年長優勝を果たしたばかりゆえ、48歳のブランドが全米オープンを制する可能性は十分にある。
とはいえ、ブランドは米ゴルフ界では、まったくの無名。欧州ツアーでは「最も安定的なベテランプレーヤー」と呼ばれている。だが、「最も安定的」とは、彼が20年以上もの間、欧州ツアーと下部ツアーのチャレンジツアーに居続けている「常連」の存在という意味であって、安定的に好成績を挙げているとか、安定的にランキングの上位に付けているという意味ではない。
ブランドとは、一体、どんな選手なのか。一気に興味が沸いた。
好きな言葉は?
1996年にプロ転向し、欧州ツアーの下部ツアーであるチャレンジツアーからキャリアをスタートしたブランドは、Qスクール(予選会)を勝ち抜いて一軍の欧州ツアーに昇格しては、シード落ちして再び下部ツアーへ転落。そして再び欧州ツアーへ這い上がることを繰り返しながら、実に20年以上の歳月を欧州のプロゴルフ界で過ごしてきた。
「これまで、どれだけ予選落ちを繰り返してきたことか。でも私は決して諦めず、ハードワークを続けてきた。サインや握手も、求められれば、いくらでも応えてきた。なぜか?いつか必ず勝てると信じていたから」
実際、その「必ず」は、今年5月についに実現した。欧州ツアーのブトフレッド・ブリティッシュ・マスターズで、ブランドは生涯478試合目にして悲願の初優勝を遂げ、同ツアー史上最年長の初優勝者となった。
その後、さらにデンマークの大会でも3位に食い込み、今年の全米オープン出場資格を手に入れた。
48歳にして、メジャー大会への出場は生涯わずか4回目。だが、初日70で好発進を切ると、2日目に67の好スコアをマーク。首位タイに浮上し、米国の晴れ舞台で生まれて初めて眩しいスポットライトを浴びた。
「このトーリー・パインズは一目見たときから、『プレーできる、いける』と感じた」
長年の間、「売れないプロ」「稼げないプロ」だったこともあり、10年以上前に妻と別れ、以後は独身の身だ。
「家族のため、生活のためにゴルフを諦めた選手をたくさん見てきたが、私はひたすらゴルフをやり続けるのみだ」
結んでいるスポンサー契約はきわめて少なく、帽子契約もないため、全米オープン出場が決まったとき、英国の地元のホームコースであるウィスレイ・クラブが「全米オープンを戦うときのために」と同クラブのロゴ入りキャップを10個、進呈してくれた。ブランドは、そのキャップを被ってトーリー・パインズを戦い、2日目に首位へ浮上した。
しかし、3日目は77と崩れ、最終日は78とさらに崩れて50位タイに甘んじた。72ホール目に短いパーパットがカップに蹴られ、グリーン上に残ったボールをブランドは唇を噛み締めながら見つめ、悔しそうにボギーパットを沈めた。そうやって彼の全米オープン4日間は幕を閉じた。
もはや、そんなブランドに視線を向けるギャラリーは激減し、人々の興味はスター選手ばかりが勢揃いしていた優勝争いに注がれていた。だが、それでもブランドは気丈な姿勢を崩さなかった。
「いい1週間だった。最初の2日間は夢のようだった。決勝2日間は少々残念だった。でも、前半2日間を後半2日間より多く記憶にとどめればいい」
ブランドの好きな言葉は「決して諦めない。決してやめない」なのだそうだ。
嫌いな言葉は?
なぜ、ブランドはそんなにも前向きでいられるのか。なぜ、四半世紀以上もの間、1勝も挙げられなくても、ゴルフをやり続けられたのか。
最大の理由は「ゴルフが大好きだから」。そして、もう1つの理由は「大好きなゴルフで社会の役に立ちたいから」だと彼は言った。
2017年。ブランドの兄ヒースが風邪を引いた。正確には「風邪のような症状だった」。その症状は、みるみる悪化していき、病院に連れていったら、そのまま入院となった。
そして、兄の心臓は数秒間、停止。鼓動は再開したが、それから数週間、意識不明となって生死の境をさまよい続けた。
「あのとき、私にとっての最優先はゴルフではなくなった。一番大事なのは、兄の命、兄の健康だった。欧州のゴルフ関係者やゴルフファンが、兄のために寄付を集めるチャリティ・イベントを開いたり、クラウドファンディングを立ち上げたりしてくれたことは心底ありがたく、うれしかった。ゴルフ界に身を置いていたからこそ、そういう応援や恩恵をもらうことができた。だから、私はゴルフに感謝し、いつか私もゴルフで社会に恩返しをしたいと思った」
やがて兄ヒースは意識を取り戻し、その年のクリスマスに兄弟揃ってパーティーに出席した際の写真がSNS上で披露されると、心配していた人々は、ほっと胸を撫で下ろしたのだそうだ。
以後、ブランドは、たとえ勝てなくても、下位続きで大きな賞金を稼げなくても、下部ツアーに転落したときでさえも、1バーディーを獲るたびに小さな寄付をする活動を、ひっそりと行ない続けている。
寄付をする先は、傷病に苦しむ子どもたちを救う福祉団体や小児病院など多岐にわたるそうだが、今年の全米オープンに出場したときは、南アフリカの密漁反対を唱える団体への寄付を一人で集めていた。
「だって、私が嫌いな言葉は3パットと動物虐待だからね」
大真面目だが、どこかユーモラス。48歳で全米オープンを制することは叶わなかったが、「もうすぐシニアでメジャー優勝を目指すことができる」。
なるほど。ブランドが好きな言葉は「決して諦めない、決してやめない」だったことを、あらためて思い出した。