全英女子オープンと言えば、3年前の2019年大会で渋野日向子が勝利を収めた大会である。
最終日、72ホール目で渋野がウイニングパットを沈めた瞬間、同組で回っていた南アフリカ出身のアシュリー・ブハイが両腕を挙げながら飛び跳ねるようにして祝福していた場面が今でも忘れられない。
あのときのブハイ自身は、米ツアー12年目にして、まだ勝利の喜びを知らないというのに、初出場だった渋野が笑顔を振り撒きながらいきなり挙げた初優勝を、我がことのように喜び、心の底から「おめでとう」と言っていた。
あれから3年後の今年。全英女子オープン最終日は、実にドラマチックな展開になった。
4ホールに及んだサドンデス・プレーオフを制し、勝利を掴み取ったのは33歳のブハイだった。2008年のデビューから15年を経て、ついに手に入れた初優勝がメジャー優勝となったことは、大きなボーナスのようなものだった。
残念ながら渋野は大健闘したものの、今年は3位に甘んじた。そして、ブハイとサドンデス・プレーオフを戦い、惜敗した韓国出身の27歳のチョン・インジは、心に残る懸命なプレーぶりを披露してくれた。
ブハイもチョンも好プレーを続け、手に汗握るプレーオフとなったからこそ、ブハイの勝利は一層引き立ち、敗れたインジも輝いて見えたのだろう。
だが、チョンが敗者ながら光り輝いて見えたワケは、単に好プレーを披露したということだけではなかったのだと私は思う。
通算4勝のうち3勝がメジャー優勝
韓国出身のチョンは、9歳でゴルフを始め、めきめきと頭角を現していった。
2012年にプロ転向。韓国女子ツアー(KLPGA)で次々に勝利を重ね、母国ではすでに通算9勝を挙げている。日本の女子ツアー(JLPGA)でも2015年5月にワールドレディース・チャンピオンシップ・サロンパスカップを制すると、10月には日本女子オープンをプレーオフで制し、日本における通算2勝目を飾った。
同じ年、米国女子ツアー(LPGA)では、まだメンバー資格を得ていない「ノンメンバー」の状態で全米女子オープンを制し、米国のみならず世界にその名をとどろかせた。
翌年から米女子ツアーに正式メンバーとして参戦を開始すると、エビアン選手権を制してメジャー2勝目を達成。
2018年にレギュラー大会のハナバンク選手権でも勝利を挙げると、2022年はKPMG全米女子プロゴルフ選手権を制してメジャー3勝目を挙げ、米ツアーで挙げた通算4勝のうち3勝がメジャー優勝となって、大舞台に強い強心臓ぶりをアピールした。
そんなチョンが、今年の全英女子オープンで、またしても優勝争いに絡んだ。通算10アンダーで72ホールを終えたチョンとブハイは、サドンデス・プレーオフに突入。そのとき、未勝利のブハイと比べ、メジャー3勝、通算4勝のチョンは格段に落ち着き払って見えた。
グッドルーザー
だが、そんなチョンにも人知れぬ苦労があり、人知れず、ひっそりと続けてきた努力や工夫も、もちろんあった。
今年の全英女子オープン開幕前、彼女は相棒キャディのディーン・ハーデンと小さな約束を交わしていたという。
「私がノーボギーで回ったら、その日はディーンが私にディナーをご馳走することになっていました。小さな約束だけど、その約束が私にとっては、いい具合に励みになり、モチベーションと集中力をアップしてくれました」
振り返れば、チョンが2015年の全米女子オープンを制し、メジャー初優勝を挙げたときも、今年のKPMG全米女子プロゴルフ選手権を制したときも、彼女の傍らでバッグを担いでいたのはハーデンだった。
ハーデンは、オーストラリア出身の「超」が付くほどベテランのツアー・キャディ。諸見里しのぶが米女子ツアーにデビューしたときも、申ジエが2008年全英女子オープンを制したときも、バッグを担いでいたのはハーデンだった。
今年のKPMG全米女子プロゴルフ選手権の際は、ラウンド中、ハーデンが「ハッピーかい?」と問いかけ、チョンが「ええ、ハッピーよ」と答えるやり取りを続けながら、見事に勝利。
うつ病やスランプに苦悩した時期も実はあったが、そこから復活した彼女をキャディがメンタル面から支え、その二人三脚は全英女子オープンでも効果を発揮して、勝利ににじり寄っていた。
プレーオフの真っ只中でも、チョンは何度もスマイルを見せ、TVカメラに向かって手を振っていた。その姿は、「スマイリング・シンデレラ」と名付けられた渋野とそっくりで、笑顔と好プレーは密接な関係にあることを、あらためて痛感させられた。
最終的には惜敗に終わったが、負けても笑顔で勝者ブハイを讃えたチョンは、とても素敵なグッドルーザーだった。
米国でも日本でも「感謝」と「貢献」
キャディのハーデンの励ましは、チョンにとって、とても大きな力になっている様子だが、もう1つ、彼女の心を支えているのは「感謝」と「貢献」なのだそうだ。
2015年にメジャー初優勝を挙げた全米女子オープンの会場は、米ペンシルベニア州のランカスターCC。彼女は、ノンメンバーにして勝利できた自身の幸運と人々から得た声援や激励に感謝し、優勝直後に「チョン・インジ・ランカスターCC教育財団」を創設。
さらに、朝鮮大学校(東京・小平市)にも毎年10万ドルを寄付し、同大学の学生たちの社会における活動を経済面から支援しているそうだ。
母国である韓国のみならず、勝利を挙げた日本や米国にも自身の社会貢献の足場を作り、「おかげさまで勝つことができました」と感謝し、さらなる貢献をする。
そうすることが「私自身の励みになる」と言うチョンは、これからますます、チャリティにもゴルフにも積極的になりそうな予感がする。