米ツアーの新シーズン開幕第3戦、「セイフウエイ・オープン」を制し、通算2勝目を挙げたキャメロン・チャンプの優勝物語は、父親や祖父を想う家族愛の話であり、その背景には、アメリカという国が辿ってきた歴史の裏側の悲しい事実があった。
だからこそ、チャンプの勝利の涙を見たとき、多くの人々が多くのことを考えさせられたのだろうと思う。
祖父から父へ、そして孫へ
チャンプはカリフォルニア州サクラメントで生まれ育った24歳の米国人選手。テキサスA&M大学卒業後、2017年にプロ転向し、下部ツアーを経て米ツアーへ昇格。昨秋のサンダーソン・ファームズ選手権で早々に初優勝を挙げ、有能新人として注目を浴びた。
そのときチャンプに向けられたスポットライトは、同時に、彼の家族、とりわけ黒人である祖父が生き抜いてきた人生を照らし出す格好になった。
チャンプの祖父マックは現在77歳。テキサス州コロンバスで生まれ育ち、1940年代から50年代ごろは、地元のゴルフ場でキャディとして働いていたという。
だが、それは米国で人種差別が最も激しかった時代である。
「水道の水を使うとき、『COLORED』と書かれた蛇口のみしか使用を許されなかった」
ゴルフ場にはレストランやハンバーガーショップがあったが、そうした場所には足を踏み入れることさえ許されなかったそうだ。
そして、キャディとして働いていたにも関わらず、マックがそのゴルフ場でプレーすることは、ただの一度も許されなかった。
「近所の大半の黒人女性がそうだったように、私の母も白人家庭の召し使いとして下働きをしていた。そのわずかな収入で母は私を育ててくれた」
やがてマックは米空軍に入り、60年代には英国や欧州へ渡って現地に駐留するようになった。そのとき初めてマックは英国のゴルフ場でゴルフクラブを握り、かつてキャディとして眺めるばかりだったゴルフを自身が楽しめる日々に出会った。さらには欧州生まれの美しい白人女性リリーと出会い、結婚した。
その後、妻リリーを連れて米国に帰還したマックは、生まれてきた息子ジェフにゴルフを教えたが、ジェフはゴルフにはあまり興味を示さず、その代わり、野球で頭角を表した。しかし、デッドボールを受けて左手を故障。ジェフはせっかく掴んだプロ野球選手の道を断念せざるを得なくなった。
やがてジェフには息子が生まれ、キャメロンと名付けた息子は祖父マックがこよなく愛するゴルフに興味を示した。祖父は近所のパー3コースに毎日のようにチャンプを連れていき、手ほどきをした。チャンプはどんどんゴルフの腕を上げ、ジュニアの大会に出るようになった。
父親ジェフは野球をやっていた時代のユニフォームやトロフィーなどのグッズを売り払ってはお金を作り、そのお金を息子のジュニアゴルフの費用に充てた。
そしてチャンプはゴルフの名門大学を経て、プロ転向し、下部ツアー経由で2017年に念願の米ツアーにデビュー。昨年、夢にまで見た初優勝を飾った。
しかし、今春からは不調に陥り、心身ともに疲弊していた。そんなチャンプにさらに襲い掛かってきたのが、最愛の祖父マックが胃がんのステージ4と診断され、ホスピスに入ったという知らせだった。
おじいちゃん、勝ったよ!
チャンプは祖父に自身の2勝目を見せたい一心で必死の戦いを開始した。スランプの間は「どうやって脱出したらいいか、わからなかった」そうだが、祖父の教えを1つ1つ思い出しては咀嚼しているうちに、出口が見えてきたという。
「大事なのは、歩んできた道じゃない。これから行こうとしている道だ」
そんな祖父の教えを自分に言い聞かせては前を向いた。開幕第3戦のセイフウエイ・オープン会場は、祖父マックが入院しているホスピスからは車で1時間強の距離だ。チャンプは祖父の容態が心配で毎日ホスピスと大会会場を往復しながら試合に出ていたが、2位に3打差の単独首位で最終日を迎えたときは、会場近くに泊まり、優勝争いにしっかり備えた。
「集中しろ!集中しろ!自分のゴルフをしろ!それが祖父の口癖だったから――」
いざ、最終日。3打あったチャンプのリードは、最後にはゼロになり、パトリック・カントレーに並ばれた。だが、チャンプは72ホール目にきっちりバーディーパットを沈め、それがウイニングパットになった。
勝利を決めた瞬間、固唾を飲んで見守っていた父親ジェフが駆け寄り、父と息子は抱き合って泣いた。父の手に握られていたスマホは、ホスピスにいる祖父マックとつながっていた。
「ポップ(おじいちゃん)、勝ったよ!」
孫の声は、病床のマックにしっかり届いたに違いない。
希望を失いかけている子供たちのために
米国には、ゴルフに触れる機会がない子供たちにゴルフを教え、ゴルフを通じて人間教育を行なう目的で設立された「ザ・ファーストティ・プログラム」という非営利団体がある。この団体は、ゴルフを続けるための経済力がない家庭の子どもたちを支援する活動も行なっており、チャンプはまさに「ファーストティ出身のプロ」の代表例である。
「僕にゴルフを教えてくれたのは祖父。僕をプロに導いてくれたのはファーストティ・プログラムです」
そう言って感謝するチャンプは、今度はプロになった自分が、かつての自分のような子供たちや困窮している人々を支援したいと願い、「キャメロン・チャンプ財団」を設立した。
財団の活動の目的は、1人でも多くの子供たちに、生きていく上で不可欠となる科学や数学などの教育を受けてもらうこと。
そして、もう1つ、チャンプの財団は幼少時代に祖父と毎日一緒にゴルフの練習をしたカリフォルニア州サクラメントのフットヒルズCCというパー3コースの維持と運営も引き受けている。
「未来への希望を失いかけている子供たちに、ゴルフに触れる機会を作ってあげたい。そして、できることなら、そうした子供たちをゴルフの世界に引き入れ、ゴルフとともに成長していってほしい」
それが何よりの願いだというチャンプ、そして彼を育てた父ジェフ、祖父マックは、その名の通り、本物のチャンピオンだ。