今でこそ、欧米ツアーの選手やキャディ、関係者の間では「社会貢献をしてこそ一流」という考え方が根付き、広まっている。初優勝したらビッグな優勝賞金で自分自身の財団を設立してチャリティ活動を行なうことは当たり前になっている。
「そのために僕はプロになった」
「そのために僕はここにいる」
20歳代の若い選手たちの口から、そうした言葉が聞かれるのは、とてもうれしく、頼もしい。
だが、90年代のはじめごろの米ゴルフ界では、今ほどチャリティは盛んではなかった。もちろん、ひっそりと活動していた選手やキャディはいたのだと思う。だが、それが大きく報じられることはあまりなく、それゆえ、どんなことをどうやって行えばいいのかという知識や認識も決して多くはなかったのだ。
そんな中、チャリティの大切さや意義を、結果的に米ゴルフ界に伝える形になったのは、往年の名プレーヤー、ニック・プライスと彼の相棒キャディを務めた“スクイーキー”だった。
プライスの人望は厚い。2017年のプレジデンツカップでは世界選抜チームのキャプテンを務めた。 (photo: 舩越園子)
メジャー優勝へ導く名キャディ
古くからのゴルフファンは、プライスと“スクイーキー”の名コンビを覚えていると思うのだが、若い読者の方々は、どちらのことも、ご存じないかもしれない。
南アフリカで生まれ、ジンバブエで育ったプライスは、欧州ツアーを経て1983年から米ツアーに参戦し、1992年の全米プロでメジャー初制覇を遂げた。1994年には全英オープンと全米プロを続けざまに制し、メジャー3勝、米ツアー18勝のトッププレーヤーになった。
そんなプライスの成功を支えたのが、甲高い声ゆえ、“スクイーキー”と呼ばれていた相棒キャディ(本名はジェフ・メドレン)だった。
小柄で細い体に重いゴルフバッグを背負ったスクイーキーは、誰よりも熱心にコースチェックを行ない、きめ細かなアドバイスで選手を支えた名キャディだった。
プライスの相棒になったのは1990年からだったが、1991年の全米プロでは、プライスが愛妻の初産に立ち会うために急きょ欠場し、そのおかげで補欠から繰り上がり出場となったジョン・デーリーのバッグをそのままスクイーキーが担いで無名の新人をいきなりメジャー初優勝へ導いた。
プライスが全米プロを制し、メジャー初優勝を遂げたのは、その翌年の1992年。全英オープンと全米プロを続けざまに制したのは、さらに2年後の1994年。勝者の傍らには、いつも名キャディのスクイーキーがたたずんでいた。
選手をメジャー優勝へ導く秘訣をスクイーキーに直接、尋ねたことがあった。
「選手の心の火を、強すぎず、弱すぎ、中庸に保つことです」
そう語ったくれたスクイーキーは、それから間もない1996年の夏に白血病と診断され、1997年6月、43歳の若さで逝ってしまった。
エンジェルみたいな人
いつだったか、スクイーキーの妻ダイアンが、こんなことを言っていた。
「ジェフは人を助けるために生まれてきたエンジェルみたいな人だった」
彼女の言葉は、スクイーキーがキャディとして選手をメジャー優勝に導いただけではなく、誰かのために自分ができる手助けは何だってする姿勢だったことを意味していた。
白血病と診断される1年ほど前、スクイーキーは「妙に疲れやすいし、力が抜ける感じがするし、すぐに出血する」と感じ、何かを予感したのか、地元オハイオ州内の白血病のための協会へ自らを足を運んだ。
その段階では、白血病と診断はされなかったそうだが、その協会を訪ねたことで白血病に関することをいろいろ知ったスクイーキーは、そのときから白血病患者と家族のためのチャリティ活動を自身の手で開始した。
ゴルフにまつわる記念品を方々から集めてきてはオークションにかけ、その売り上げをすべて協会へ寄付した。当時、プロデビューしたばかりだったタイガー・ウッズの初代キャディ、マイク・“フラフ”・コーワンも、すぐにスクイーキーに協力し始め、2人が地道に集めた寄付金は、わずか1年で500万円近い金額になった。
しかし、スクイーキー自身が白血病と診断された1996年の夏で、そのチャリティ活動はストップしてしまった。
チャリティ精神を根付かせた
その活動を即座に受け継ぎ、拡大していったのが、スクイーキーのボス、プライスだった。
「スクイーキーを救いたい」
その一心で、プライスは全米各地の白血病関連施設を奔走し、白血病治療のための研究機関に多額の寄付も行ないながら、「スクイーキーを治してほしい。助けてほしい」と祈りながら呼びかけた。
スクイーキーは助からず、あっという間に天国へ旅立ってしまったが、彼がこの世に残していってくれたものは多大だ。
「スクイーキーと分かち合った笑顔を僕は永遠に忘れない」
そう言って泣いたプライスは、以後、白血病患者や家族のための協会はもちろんのこと、さまざまな病気やケガ、貧困、暴力で苦しむ人々や子供たちに手をさしのべる活動を次々に始め、今でもたくさんの種類のチャリティ活動を継続的に行なっている。
選手がキャディのために奔走し、米ツアー全体にチャリティ精神を根付かせ、現在のように目に見える形へと広めていった草分けは、このプライス。そして、プライスをそこへ導いたのは、スクイーキーだったのだ。
昨今、米ツアーでチャリティ活動を目にするたびに、私は天国にいるスクイーキーと今年で61歳になったプライスのことを思い出し、素敵な贈り物をくれた2人に「ありがとう」と胸の中で唱える。