1999年の全英オープン覇者であるスコットランド出身のポール・ローリーが、51歳になった今年、レギュラーツアーからの引退を表明すると、米メディアから発信された記事には、こんな見出しが躍った。
「ノー・ファン(観客は無し)、ノー・ファンファーレ(ファンファーレも無し)」
引退発表の場はコロナ禍ゆえの無観客試合だったため、彼を見守るギャラリーはおらず、ファンファーレも花束も無かったことは事実。
だが、米メディアの論調は「報われない物語の主人公は最後まで報われない」と言いたげで、ローリー自身、そういうニュアンスの質問をずいぶん投げかけられたそうだ。
「胸中は複雑ですかと問われるけど、僕は17歳でプロ転向したとき、自分が一流の欧州ツアーで620試合も戦えるなんて夢にも思っていなかった。感謝の気持ちでいっぱいです。腰痛が悪化し、年齢的にも以前のように戦えなくなった今の私は、若い選手に1名分の出場枠を譲るべきときを迎えただけのこと。これからはシニアの世界へ移行します」
さらにローリーは、こう続けた。
「僕はコース上で達成したことを誇らしく思っていますが、僕と妻はコース外で尽くしてきたことのほうが、もっと重要だと思っています。僕と妻は、どうしたら社会に恩返しができるかをずっと考えながら生きてきた。その考えは形になって、膨らんでいった。僕らは何よりそれを誇りに思っています」
ローリーは自分が報われないチャンピオンだったとは感じていない。それどころか、達成感と満足感を十分に味わってきたからこそ、早々に後進に出場枠を譲り、「今後はもっと社会に尽くしたい」と目を輝かせている。
そう、ローリーの引退は、米メディアが描写したような暗く悲しいものではなく、彼が一番大切に思ってきたことを心置きなくやっていく第2の人生への明るい旅立ちだ。
スポットライトを浴びなかった勝者
そもそも、なぜローリーが報わないチャンピオンだと思われてきたかと言えば、それは1999年全英オープンの結末が「悲劇」だったからだ。
悲劇の主人公はジャン・バンデベルデというフランス人選手。最終日、バンデベルデは2位に3打差の単独首位で72ホール目を迎えたが、優勝すれば92年ぶりのフランス人選手による全英制覇という重圧が彼の手元を狂わせた。バンデベルデのティショットは大きく右に曲がり、2打目はギャラリー・スタンドに跳ね返って小川の手前の深いラフへ。第3打を目の前の小川へ入れ、ドロップ後はバンカーに入れてトリプルボギー。先にホールアウトしていたローリー、ジャスティン・レナードとの3人によるプレーオフへ突入し、勝利したのがローリーだった。
ローリーの優勝は「棚ぼた」と呼ばれ、あの大会は「ローリーが勝った全英オープン」ではなく「バンデベルデが負けた全英オープン」として人々の記憶に刻まれた。
そして、あの全英オープン以降、ローリーを大西洋の向こう側から遠巻きに眺めていただけの米メディアは、彼が報われないままの日々を過ごしていると思っていた。
だが、ローリーは母国では真のヒーローとして人々からリスペクトされていることを、あるとき私は偶然知った。
「これで恩返しできる」
2010年の夏。全英オープン取材のため、スコットランドへ赴いた私は、その開幕前、近郊で開かれていたジュニアオープンを取材した。表彰式が始まろうとしていたとき、トロフィーの近くに見たことがある人物が立っていた。それが、ローリーだった。
「私はこのジュニアオープンの名誉会長を務めているんです。子どもたちが一生懸命、試合に挑む姿に触れるのは本当に楽しい。ああ、全英オープン?明日から練習ラウンドします」
自身のメジャー大会の開幕目前に、自分より地元の子どもたちのために尽くすことを優先していたローリーの姿に驚きを覚えた。
ローリーから優勝トロフィーを渡された子どもは夢見心地。表彰式終了後、大勢の子どもたちも見守っていた大人たちも尊敬の眼差しを向けていた。その真ん中に立っていたローリーは、まさに母国のヒーローだった。
スコットランドで生まれたローリーは1986年にプロ転向し、92年から欧州ツアーで戦い始めた。96年に初優勝。99年に2勝目を挙げ、あの全英オープンを制してメジャー初優勝、欧州通算3勝目を挙げて高額賞金を手に入れた。そのとき、ローリーの頭に浮かんだことは、ただ1つ。
「これで、僕が育ったゴルフの世界に恩返しができる」
2001年にポール・ローリー財団を設立。18歳以下のゴルフを知らない子どもたちに「ゴルフに触れてもらい、楽しんでもらいたい」と考えて、ゴルフで遊ぶイベントを地元で実施したところ、大きな反響が得られた。
ゴルフをしているジュニアゴルファーたちのための指導プログラムも創設。参加者はみるみる増え、プロジェクトは拡大していった。
2011年にポール・ローリー・インビテーショナルという大会を創設。2012年には近郊の練習場を買い取って改修し、ポール・ローリー・ゴルフセンターをオープンした。
やがて、プロジェクトにはサッカーやホッケーをやる子どもたちが加わり、他競技と合同のスポーツ・コミュティへ発展しつつある。
近年は気候が穏やかな4月から10月に7~18歳の子どもたちをスコットランド周辺の名コースへ連れていき、素晴らしい景色の中で楽しくゴルフを体験しながらマナーやエチケット、感謝や喜びを知ってもらうプロジェクトが主体。ゴルフ上級のジュニアたちには技術指導を行なっているが、その際も「ゴルファーである前に1人の人間であることを忘れるべからず」と教えているそうだ。
さらに、ローリー財団は未来のチャンピオンを目指しているスコットランド出身の4人のプロゴルファーのスポサードもしている。
「この財団出身者がトーナメントで勝ち、メジャーで勝ったら、それは僕が人生で最大の興奮を覚える瞬間になる」
そう言って目を輝かせるローリーに賛同する企業や団体はどんどん増え、アバディーン・スタンダード・インベストメントや欧州ツアー、そして欧州ゴルフの総本山R&Aなど、その数は15団体以上もある。
そして、ローリー自身は2012年にゴルフクラブ・マネジメント・マガジンによって「英国ゴルフに最も影響を与えた人物」の第37代目に選出され、2016年には自身のブランド「カーディナル・ゴルフ」を立ち上げるなど充実した日々を過ごしてきた。
そう、ローリーは、いつだって幸せそうな笑顔を讃え、自分がゴルフから授かったものをゴルフにお返ししたいと願い続けている。
そんなローリーの新たな船出は希望と喜びで溢れている。米メディアは「ファンファーレも無い」と書いていたが、私は感謝を込めた精一杯のファンファーレで彼を第2の人生へ送り出したい。