トニー・フィノウという190センチ、90キロの巨体を誇る28歳のユニークな選手がいる。
2015年に米PGAツアーにデビューし、2016年にプエルトリコ・オープンで初優勝。現在、すでに世界ランキング上位30位にランクインしているトッププレーヤーの一人だ。
フィノウの国籍は米国だが、両親はトンガとサモアの出身だ。男6人、女2人の8人兄弟でフィノウは上から3番目。すぐ下の4番目に当たる弟ジッパーもプロゴルファーで、米ツアーの下部ツアーのウエブドットコムツアーに参戦しているが、兄のキャディとしてバッグを担ぐこともある。
5番目の妹はバレーボール選手。6番目の弟はプロボクサー。兄弟8人全員がアスリートというスポーツ一家だ。
家庭ではフィノウと弟のジッパーは他の6人全員から「ゴルフなんて甘っちょろいゲームはスポーツじゃない!」と、からかわれることしばしば。そのたびにフィノウは「おいおい、何を言ってるんだ?ゴルフはとても難しくて面白い、素晴らしいスポーツなんだ!今に見てろ!」と言い返してきた。
「あの子は、そうやって精神的に強くなったのよ」
いつだったか、フィノウの姉が、そう教えてくれた。
トニー・フィノウは190センチ、90キロの巨体を誇る28歳。 2015年に米PGAツアーにデビューし、2016年にプエルトリコ・オープンで初優勝。現在、すでに世界ランキング上位30位にランクインしているトッププレーヤーの一人。(photo: 舩越園子)
苦節の日々
フィノウ自身、高校時代まではバスケットボールの選手だったそうだ。だが、その後にゴルフに転身し、2007年にプロ転向。世界の一流の舞台である米PGAツアーで戦うことを目指し、その登竜門となる下部ツアーのウエブドットコムツアーに挑み始めた。
その年、生まれて初めて出場したプロの大会は、ウエブドットコムツアーのユタ選手権。地元ユタ州の出身選手ということで、特別推薦を得ることができ、出場が叶った。
しかし、結果はあえなく予選落ち。兄弟たちから「全然だめだね」「プロゴルファーなんて、やめておけよ」と言われれば言われるほど、フィノウの闘志は逆に燃え上がったが、気持ちとは正反対に、なかなか腕は上がらなかった。
それから3年。ウエブドットコムツアーの出場資格さえ得られなかったフィノウは、草の根のミニツアーを転々としながら必死に腕を磨いた。
そして2010年、地元出身の恩恵を授かり、再びユタ選手権に挑んだが、結果はやっぱり予選落ちだった。
2011年はついに予選通過を果たしたが、45位と下位に終わった。2012年は、とうとう推薦出場も叶わなかった。
それでも諦めず、ミニツアーを転戦し続けたフィノウは、2014年についにウエブドットコムツアーにフル参戦する資格を獲得。年間を通してプレーしていたら調子はぐんぐん上がり、ユタ選手権では5位に食い込んだ。そして、その2週間後の大会で初優勝。
ウエブドットコムツアーの賞金ランキングで8位になり、翌年から一軍である米PGAツアーでプレーする出場権を、ようやく手に入れた。
2014年ウエブドットコムツアーの賞金ランキングで8位になり、翌年から一軍である米PGAツアーでプレーする出場権を、ようやく手に入れた。(photo: 舩越園子)
お世話になった大会をサポート
ウエブドットコムツアーにフル参戦できたのはプロ転向から7年後、米PGAツアーに辿り着いたのはその翌年だったが、プロ転向からは実に8年の歳月が流れていた。
それほど時間がかかった原因の一つは、試合のエントリーフィーや転戦費用、用具の調達費用を稼ぐために、アルバイトなどの副業をする必要だったこと。
立派な体格とアスリートとしての素養にも恵まれていたフィノウは、「すべての時間とエネルギーをゴルフだけに注ぐことができたら、あっという間に成長する逸材だ」と周囲のゴルフ関係者は以前から感じていたという。
だが、副業との二足の草鞋で練習時間はなかなか取れず、睡眠も十分に取れない日々。なかなかゴルフの成績は上がってはくれなかった。
「練習したい、練習さえできればと何度思ったことか。僕のような苦労や遠回りを、これからPGAツアーを目指す才能ある若者たちに経験させたくはない」
そんな想いを込めて、フィノウは自身が主宰する「トニー・フィノウ財団」を設立し、そしてこの夏、自身のプロデビュー戦となったウエブドットコムツアーのユタ選手権とパートナーシップを結び、「プロゴルファーを目指す若者たちを手助けする大会を作る」ことを発表した。
近年、米ツアーの選手がジュニア時代にお世話になったAJGA(全米ジュニアゴルフ協会)の出身地の大会を経済的にサポートする例は増えているのだが、下部ツアーであるウエブドットコムツアーの大会と手を結び、スポンサードするというフィノウの例は、きわめて珍しい。
それほどフィノウにとってユタ選手権は思い出も感謝の念も深く、下積み時代に味わった経済的困窮は彼にとって本当に苦しく、だからこそ、世界のトッププレーヤーの仲間入りができた今、そのお返しをしたいという想いに駆られているのだと思う。
「故郷ユタには、たくさんの思い出がある。ユタ選手権にも数えきれないほどの思い出があり、恩がある。今、この僕が、これからプロゴルファーを目指す才能溢れる若者たちの教育や成長の手助けができることは、信じられないほどうれしい」
フィノウの想いに共感した同じユタ州出身のジョニー・ミラー、ビリー・キャスパーといった往年の名選手たちも応援に加わったそうだ。
そうやって、サポートの輪が広がっていく。だからこそ、アメリカのプロゴルフ界は社会から受け入れられ、応援もされる
大勢の人々が「ゴルフって素晴らしい。ゴルファーって素晴らしい」と感じてくれることだろう。
そして何より「トニー・フィノウって、素敵だよね」と思うファンは、これからどんどん増えるに違いない。