米ツアーにチャールズ・ハウエルという41歳の米国人選手がいる。通算3勝のベテラン選手。今年でキャリア20年になる。
「今こそ、恩返しのときだ」
ハウエルは、そう言って、あるチャリティ活動を始めたことを明かしたが、それは単に今年がツアー歴20年の節目の年だからというだけの理由ではない。
今年5月、米国では46歳の黒人男性、ジョージ・フロイド氏が警察官による不適切な拘束方法によって死亡する事件が起こり、「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」を掲げて人種差別に反対する動きは米国内外へ広がっている。
そんな社会現象を目の当たりにしたハウエルは、こう思ったのだそうだ。
「今こそ、ゴルフを通じて米国と米国社会に貢献すべきときだ。この国をもっといい場所にしたいし、そうなってほしい」
ハウエルはマイノリティ(少数民族)の選手たちが参加しているAPGAツアーという名のミニツアーを支援していこうと決意した。今後、ハウエルは試合でバーディーを獲るたびに50ドル、イーグルを獲るたびに100ドルをAPGAツアーへ寄付するという。
だが、それは単なる経済的支援だけにはとどまらない。
「お金以上に、もっともっと大きな意味と意義がある」
APGAツアーの創設者、ケン・ベントレー氏はハウエルへの感謝の念を熱く語っていた。
最初は「知らなかった」
ハウエルの話を耳にして、なるほどと感じさせられたのは、つい最近まで、ハウエル自身がAPGAツアーの存在すら知らなかったという事実だ。ジュニアのころからゴルフのエリート街道を突っ走ってきた白人選手のハウエルにとって、マイノリティ対象のAPGAツアーは無縁の存在だったのだろう。
ハウエルはマスターズの開催地であるジョージア州オーガスタで生まれ、小児科医でゴルフの腕前はシングル級である父親から手ほどきを受けながら育った。
ジュニア時代から数々のタイトルを掌中に収め、ゴルフの名門オクラホマ州立大学へ進学。在学中の2000年にプロ転向し、スポンサー推薦を頼りに挑み始めた米ツアーで出場わずか6試合でスペシャル・テンポラリー・メンバーへ昇格した。
当時の米ツアーにおいて、そんなハウエルは「天才」「超エリート」「ネクスト・タイガー」と持て囃された。ハウエルのために米ツアーの決まりが変更されたこともあり、米メディアは米ツアーの特別扱いを「ハウエル・ルール」と名付けて批判したほどだった。
そんなふうに、いつもスポットライトを浴びていたハウエルは、マイノリティ選手たちが置かれていたゴルフ環境に触れる機会、考える機会はほとんど皆無に近かった。
しかし、鳴り物入りでツアー入りし、2002年に早々にミケロブ選手権を制して初優勝を挙げた後、ハウエルの成績は振るわなくなった。2勝目を挙げたのは5年後の2007年。3勝目を挙げたのは、さらに12年後の2019年だった。
人間は苦労を味わうと、周囲の人々の苦労にも気付くようになる。エリートの世界でしか生きてこなかったハウエルは、その世界から弾き出されて初めて、いろんなモノやコトや人々が見えるようになった。
「もっといい場所にしたい」
2年前。米ツアーのファーマーズ・インシュアランス・オープン開幕前のプロアマ戦で、ハウエルはAPGAツアー創設者のベントレー氏と同組になった。とはいえ、そのときハウエルは、APGAツアーのことを一切知らず、ベントレー氏とも初対面だった。が、ハウエルの相棒キャディが「APGAツアー創設者のケン・ベントレーだ」と教えてくれたそうだ。
ハウエルのバッグを担いでいるニック・ジョーンズはUSC(サザン・カリフォルニア大学)卒業後の一時期、APGAツアーに出て腕を磨いていたという。それゆえ、ベントレー氏のことを知っていた。その日、ハウエルとジョーンズ、ベントレー氏は、プロアマ戦で一緒に回りながら、いろいろな話をした。
そして、今年6月、ハウエルはベントレー氏に電話をかけ、「僕にもAPGAツアーをサポートさせてほしい。マイノリティの選手たちがもっとゴルフをする機会、もっとゴルフの試合で戦う機会を作りたい」と申し出た。
「突然、チャールズから電話をもらってビックリした。チャールズは、この世の中をより良い場所にしたいと言ってくれました」
ベントレー氏は嬉しそうに振り返った。
答えは「わからない。でも・・」
APGAツアーは「Advocate Pro Golf Association」が主催するミニツアーで、黒人選手を含めたマイノリティ選手にゴルフ界でキャリアを構築してもらうことを目指し、10数年前に創設された。当初は年間3試合しかなかったが、2012年からは米ツアーが手を差し延べ、TPCスコッツデールやトーリー・パインズなどの有名コースがAPGAツアーでも使用できるようになった。そのおかげでスポンサー企業も増え、今では年間8試合、賞金総額25万ドルを誇っている。
そして今回、ハウエルは自身のパフォーマンスに応じた寄付を申し出たのだが、ベントレー氏は「もっと大きなものをいただいている」と感謝の念は尽きない。
「チャールズはAPGAの試合会場に出向いてくれている。大切な時間を費やし、選手たちに声もかけてくれる。そういうことがマイノリティ選手たちにとって何よりの励みになる」
ハウエルに感銘を受けたファーマーズ・インシュアランスも年間2万5000ドルの支援金をAPGAツアーに贈ることを発表した。そうやって真心の輪、支援の輪が広がったことは、とても嬉しい知らせである。
1950年代から60年代にかけて、米ツアーで初の黒人選手となり、活躍したのはチャーリー・シフォードだった。その後、ジム・デント、ジム・ソープが活躍。彼らに次いで1996年に米ツアー入りしたのがタイガー・ウッズだ。
あれから、ほぼ四半世紀が過ぎ去った今、米ツアーで戦う黒人選手はウッズやハロルド・バーナーなど、わずか4名しかいない。
なぜ、ゴルフ界には高いレベルで戦う場に黒人選手やマイノリティ選手が少ないのか。「わからない」とハウエルは答えた。だが、その代わり「これは言える」と彼は強調した。
「僕は7歳からゴルフをやってきた。ゴルフの世界には常に誰かを救うための道が存在していた。だから、ゴルフを通じて、マイノリティの人々を支援して、この国をより良い場所、より良いアメリカにできるはず。僕はそうしたい。それが僕の恩返しだ」