あどけない顔をした12歳の少女、モーガン・プレッセルが全米女子オープンに登場したのは2001年のことだった。
「天才少女、現る」――そんな見出しが全米のメディアで踊った。全米各地で行なわれた地方予選に挑み、大勢の大人のプロゴルファーやトップアマチュアたちを抑えて女子ゴルフの最高峰の舞台に上がったプレッセルは、堂々たるプレーぶりで予選通過を果たし、4日間を見事に戦い抜いて世界の注目を集めた。
2003年にもプレッセルは全米女子オープンに再び登場した。15歳になったプレッセルは2年前より少しばかり大人っぽい雰囲気を漂わせていた。将来が楽しみな少女だと誰もが感じ、ゴルフファンは彼女の次なる吉報を待つようになった。
だが、そのわずか3か月後に飛び込んだニュースは、プレッセルのさらなる活躍の話ではなく、彼女の母親キャスリンが乳がんで亡くなったという訃報だった。
母の死を乗り越え、プロゴルファーへ
12歳にして眩しいほどのスポットライトを浴びた少女は、15歳にして実母を失った。しかし、プレッセルは悲しみに負けず、ゴルフクラブを握り続けた。生まれ故郷のフロリダ州タンパを離れ、同州内のボカラトンに住む母親の両親の下へ移り住んだプレッセルは、そこで祖父母の愛情を受けながら、さらなる成長を遂げていった。
病理学を専門とする医師だった祖父は、すでに医学の世界からは引退しており、プレッセルを引き取ってからは彼女のゴルフのコーチにもなり、孫娘を人間としてもゴルファーとしても指導する役割を担った。
その甲斐あって、プレッセルは実母を失った2年後の2005年に3度目の全米女子オープン出場を果たし、驚くなかれ、17歳のアマチュアにして優勝争いを演じた。
残念ながらバーディー・キムに惜敗し、2位に終わったが、プレッセルは同年の全米女子アマチュア選手権を制し、トップ・アマチュアの称号を手に入れた。
その傍らで、AJGA(全米ジュニアゴルフ協会)では通算11勝を挙げ、女子ジュニアとしても、女子アマチュアとしても、あらゆるタイトルを獲得した。
「もう、プロになろう」
決意を固めたプレッセルは、その年の秋、米LPGAのQスクール(予選会)に挑み、宮里藍らとともに突破して、2006年から米LPGA参戦を開始した。
母の命を奪った病を無くしたい
ツアー生活2年目を迎えたばかりの2007年4月、プレッセルはクラフト・ナビスコ選手権(現ANAインスピレーション)を18歳10か月で制し、米女子ゴルフ史上最年少(当時)のメジャー優勝を達成した。
翌2008年にはカパルアLPGAクラシックで通算2勝目を挙げた。
最愛の母を失ってからも、立ち止まることなく前進し続けてきたプレッセルは、プロ転向後もそうやって次々に勝利を重ねたのだが、彼女の心の中には常に亡くなった母への想いがあった。
「母の命を奪った病をこの世から無くしたい。乳がんで亡くなる人をこの世から無くしたい」
プレッセルはその想いを行動で表そうと思い立ち、2008年にモーガン・プレッセル財団を設立。
さらには、医師だった祖父のアドバイスやサポートを受け、2010年からは母親の名を冠した「キャスリン・クリックスタイン・プレッセル・マンモバン」なる乳がん検診専用車を故郷の街で走らせる活動を開始した。
13年間で10億円超
以後、プレッセルは米LPGAツアーを転戦する合間に、精力的に乳がん撲滅を唱えつつ、さまざまなチャリティ活動を行なう日々を過ごしている。
母を失って以来、祖父母と暮らしてきたフロリダ州ボカラトンがプレッセルの生活拠点であり続けている。2013年には大手スポーツ・マネジメント会社の役員を務めるアンディ・ブッシュ氏と結婚したが、それでも彼女は同地を離れず、故郷の街と手を取り合いながら乳がん撲滅を目指す活動を広げている。
財団設立以来、今年で13年目。友人たちも加わって開催してきた「モーガン&フレンドとともに乳がんと闘うチャリティ・イベント」には、今年、米LPGAのツアー仲間であるレクシー・トンプソンやポーラ・クリーマー、大先輩プロのジュリー・インクスターらも参加した。米PGAツアーのビリー・ホーシェルも応援に駆けつけ、これまでで最も盛大なイベントになった。
チャリティ・ディナーには400人、チャリティ・トーナメントには220人が参加。2019年の1年間だけで1ミリオン(約1億1000万円)の寄付金を集め、この13年間のチャリティ寄金の合計は、すでに9.5ミリオン(約10億円)を超えている。
プレッセルの母親の名を冠した「マンモバン」は、日々、彼女の故郷の街や近隣の街のどこかへ出向き、そのおかげで、すでに何千人もの人々が乳がん検診を受けることができた。
「みんなが協力し合って生きているこのコミュニティが私は大好きです。母の魂が永遠に暮らすこの街に住みながら、プロゴルファーとして、1人の女性として、こうして生きていることが、とてもうれしい。だからこそ、母の命を奪った病気をこの世の中から無くしたい。乳がんで命を落とす人をこの世の中から無くしたい。それが私の願いです」
何のためにゴルフをしているのかと問われたら、大半のプロゴルファーは「勝つため」と答える。
だが、「乳がん撲滅を目指す活動を続けるため」にゴルフクラブを握り、勝利を挙げ、名を馳せ、手に入れたものを活かして今日もチャリティ活動に取り組むプロゴルファーもいる。今は亡き母親の名を冠したマンモバンが故郷の街で稼働する様子を見て、選手冥利に尽きるプロゴルファーもいる。
プレッセルは、そういう選手だ。