3年前の春。世界選手権のWGCメキシコ選手権で、インド出身のまったく無名の21歳(当時)、シュバンカル・シャルマという選手が2日目も3日目も単独首位に立ち、大きな注目を集めた。
最終日、シャルマは米国の国民的スターであるフィル・ミケルソンとともに最終組で回り、眩しいほどのスポットライトを浴びた。
しかし、勝利したのはミケルソンで、緊張したシャルマはすっかり崩れて9位に終わった。
だが、初めてのメキシコ、初めての世界選手権出場で、首位に浮上し、最終日最終組をビッグスターとともに回ったシャルマの大健闘ぶりは、インドの人々のゴルフに対する興味と関心を大いに高めた。
マスターズを主催するオーガスタ・ナショナルも、シャルマの奮闘を讃え、2018年のマスターズに特別招待することを決めた。
そのシャルマがゴルフを始めたきっかけを、彼の父親モハンから聞いて、私はとても驚かされた。
元インドの陸軍大佐だった父親モハンは、ある駐屯地に滞在していたとき、その駐屯地所属の軍医と親しくなった。そして、その軍医はモハンに、こう言ったそうだ。
「ウチの息子はゴルフというスポーツをやっています。ゴルフはとても楽しいスポーツです。是非、大佐もやってみてください」
モハンは軍医に勧められてゴルフを始め、すっかり夢中になり、当時7歳だった息子にもゴルフを始めさせた。
それが、シャルマ父子がゴルフを始めたきっかけだったのだが、シャルマ父子にゴルフを教えた軍医は、米ツアー選手であるアニルバン・ラヒリの父親なのだそうだ。
インドでは、まだまだゴルフが普及しておらず、ましてやプロゴルファーを目指すジュニアは数えるほどしかいなかった。
だが、ラヒリ父子が先駆者としてそこに居たからこそ、シャルマ父子もゴルフに出会い、プロゴルフの世界を目指すようになった。
そんな彼らの馴れ初めを聞いて、ゴルフを広めるアンバサダー的存在やパイオニア的存在が、いかに大切であるかを実感させられた。
ラヒリはアジア人選手の「兄」的存在
以後、ラヒリの父親はシャルマの父親にゴルフを教え、息子は息子どうしということで、ラヒリはことあるごとにシャルマにゴルフを教えたそうだ。
軍医である父親から高水準の教育を受けながら育ったラヒリは、4か国語を学んだ一方で、8歳からはゴルフに精を出し、2007年にプロ転向した。
アジア各国を転戦しながら米ツアー数試合にスポンサー推薦を受けて出場。下部ツアーでも腕を磨き、2015年からは米ツアー参戦を開始した。
一足早く米ツアーにデビューした松山英樹とは仲が良く、しばしば練習ラウンドを共にしていた。同じアジア人どうしのせいか、ラヒリは松山を弟のようにかわいがり、松山もラヒリとの練習ラウンドを楽しんでいる様子だった。米国選抜チームと世界選抜チームの対抗戦、プレジデンツカップにも2人は共に出場した。
そんなラヒリは現在34歳。世界では通算18勝を誇っているが、米ツアーでは未勝利だ。そして、近年は成績が低迷しており、現在はシード権が確保できるかどうかの瀬戸際にある。
母国のために
今年4月、ラヒリ新型コロナウイルスに感染した。陽性判定が出たとき、ラヒリはサウス・カロライナ州の試合会場にいたのだが、すぐに隔離生活に入った。
フロリダ州の自宅では、妻と2歳の子どもも陽性判定となった。幸い、妻子は無症状に近い軽症だったが、ラヒリの症状は重く、高熱が1週間以上も続いたそうだ。
「体重が8キロも減ってしまった」
そう振り返ったラヒリは、病床にあったときの心境を包み隠さず語ってくれた。
「母国インドでは、3000万人以上が感染し、40万人が死亡したと報じられているが、おそらくは、それらの数字の2倍、3倍が感染したり、亡くなったりしているのだと思う」
想像を絶するような数字を頭の中で何度も咀嚼しているうちに、ラヒリは居ても立ってもいられなくなり、母国の支援金を集める活動を開始した。
「たくさんの命が奪われ、たくさんの仕事が奪われ、たくさんの未来が危うくなった。僕も、僕の家族も、それを目の当たりにして、人々のより良い未来のために、できることをやりたいと思った。
痛みや苦しみは、現実なんだ。その現実を少しでも良い方向へ向けていきたい。
それが僕の人間としての信念。僕からのメッセージです」
ラヒリはクラウドファンディングを立ち上げ、SNS上で寄付を呼びかけるなど、思いついたことから1つ1つ着手しているという。
さらにラヒリは、東京五輪にインド代表として参加し、メダルを獲得することが「母国への励みになる」と信じ、目を輝かせていた。
「かつて、バドミントンや射撃、レスリングで、インドの選手が金メダルを母国に持ち帰ったとき、それがどれほどインドの人々を奮い立たせたことか。
だから僕も、東京五輪に出て、金メダルを手に入れて、インドに持ち帰る」
このコラムがみなさんの目に触れるのは、東京五輪終了直後のタイミングになる。
果たして、ラヒリは金メダルを獲ることができたのか――。
ちなみに、五輪ランキングでは、ラヒリは60人中59位、そして、もう1人のインド代表選手、ウダヤン・メインは最下位の60位で五輪出場を決めた。
しかし、母国を想う気持ちが驚くような奇跡を起こすかもしれない。ゴルフの世界では、そういう奇跡は、ときどき起こる。
だから私は、日本人選手を応援しつつ、密かにラヒリにもエールを送りたいと思う。