スティーブ・ストリッカーという米国人選手がいる。すでに53歳でシニア入りしているが、米ツアー通算12勝を誇り、メジャー4大会では何度も優勝争いに絡んだ。2010年には世界ランキング2位まで上昇し、世界一の王座ににじり寄ったが、そのとき世界ナンバー1だったタイガー・ウッズとはことさらに仲良しだった。
米国代表として米欧対抗戦のライダーカップに出場すること3度、米国と世界選抜の対抗戦であるプレジデンツカップには5度も出場した。その際、ペアを組んだ相手は、多くの場合、「親友」と呼ばれていたウッズだった。
近年はシニアのチャンピオンズツアーでも早々に5勝を挙げている。
そして今年は、ストリッカー自身がライダーカップの米国キャプテンという大役を務めることになっており、いわば彼は人生の節目の年を迎えている。
今日までの歩みは、実に山あり谷ありのでこぼこ道だった。いやいや、急上昇しては急降下する「ジェットコースターのような人生だった」という表現のほうが適切だろう。
社会に恩返しがしたい
ウイスコンシン州の田舎町で生まれたストリッカーは、トップアマだった父親の手ほどきで幼いころからゴルフを始めたが、野球など他のスポーツも大好きで、プロゴルファーになろうと思い始めたのは大学3年生のころだったそうだ。
「ゴルフはずっと大好きだったけど、どちらかと言うと、僕はプレーするより教えるほうが好きだったし、そのほうが向いていると思っていた」
だが、イリノイ大学を卒業後の1990年にプロ転向。下部ツアーを経て1994年から米ツアーで戦い始め、1996年に初優勝と2勝目、2001年には世界選手権シリーズのアクセンチュア・マッチプレー選手権を制し、トッププレーヤーへの階段を駆け上がっていった。
しかし、2002年ごろから不調に陥り、2003年にシード落ちすると、2004年も2005年もシードを取り戻すことはできなかった。
ところが、スポンサー推薦だけを頼りになんとか数試合に出場した2006年、ストッカーの成績はようやく上向き始め、3年ぶりにシード権を奪回。そして、2007年には復活優勝を果たし、2006年と2007年は2年連続でカムバック・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
復調した背景には、どんな努力や苦労があったのかと尋ねたら、ストリッカーはこんなふうに語ってくれた。
「そもそも不調になった原因は僕にもよくわからない。病気や故障があったわけではない。でも、シード落ちした2003年からの3年間は、ゴルフが全然楽しくなかった。僕の人生、ゴルフだけをやる人生でいいのだろうかと自問自答を繰り返し、迷いながら生きていた。だけど結局、ゴルフ以外にやりたいことが見つからず、どうせ他にやることがなくて、せっかくゴルフをやるのなら、ゴルフに全力投球しようって決めた。そうしたら楽しくなかったゴルフが急に楽しくなった。」
2005年の冬。故郷ウイスコンシンに戻っていたストリッカーは、大雪が吹き荒れる中、友人から借りたトレーラーをゴルフ練習場の打席に横付けし、トレーラーの中から凍えながらボールを打ち続けた。
そんな人知れぬ努力が実ったのだろう。
2006年のシード奪回後、2007年はフェデックスカップ2位、2008年は同3位まで上昇し、2010年は世界ランキング2位まで上昇。
周囲は「せっかくなら世界一?」と煽ったが、ストリッカーが出世欲を露わにしたことは一度もなかった。
「僕はこのツアーに居られれば、それだけで幸せだ。
低迷したあの3年間はもちろんのこと、キャリアを通して、僕はたくさんの苦い経験を味わってきたけど、それを乗り越え、肥しにしてきたからこそ、今の僕がある。
不調になる以前は、不調になることが怖かった。でも地獄に落ち、そこから這い上がってきた今は、怖いものを全部知ってしまったから、もう何も怖くない」
2009年から2012年は毎年最低1勝を挙げ、押しも押されもしないトッププレーヤーになった。やがてストリッカーは「僕をここまで押し上げてくれた人々や社会に恩返しがしたい」と考え、チャリティや社会貢献に精を出し始めた。
今こそ、世界ナンバー1
2013年、地元ウイスコンシンに本拠を置くアメリカン・ファミリー・インシュアランスの協力を得たストリッカーは、自身の名を冠した財団を設立した。
「チャリティや教育の分野でイニシアチブを取り、ウイスコンシンで暮らす家族をより強く、子どもたちをより健全にする手助けをしたい」
最初の数年間は、手作りレベルでチャリティ・トーナメントを開き、アメリカン・ファミリー小児病院を慰問したり、寄付をしたりしていた。
そして2016年には、米PGAツアーと協力し合い、シニアのチャンピオンズツアーの大会として、アメリカン・ファミリー・インシュアランス・チャンピオンシップ創設に漕ぎつき、ストリッカーは大会ホストに就いた。
2年目の2017年大会からは、50歳になったストリッカー自身も選手として出場し、大会ホストも兼ねている。
そして、大会で得られた収益は、ストリッカーとアメリカン・ファミリーが協力体制を取っている財団、小児病院、それにゴルフを通じて子どもたちを育成するファーストティ・プログラムに寄付されるという仕組みになっており、初開催の2016年から現在まで、すでに10ミリオンダラー(約10億3000万円)以上が子どもたちや社会のために役立てられている。
どん底まで落ち、雪の中の極寒練習を経験し、そこから這い上がって奇跡のカムバックを2度も果たしたストリッカー。そんな彼が、今度は自分のためではなく子どもたちや社会のために力を注いでいることが、まるで神様が描いたシナリオのように感じられるのは、きっと私だけではないはずである。
「みんなの心身を健全にするお手伝いがしたい。みんなが夢を追いかけられる社会にしたい」
勝利への想いより、人々の幸福を望む。そんなストリッカーは、今こそ世界ナンバー1だ。