米国で長年の人気を博している女子プロゴルファー、レクシー・トンプソンは、日本のゴルフファンの間でもお馴染みの存在だ。
ただ最近は「少々苦戦している」という印象があるように思う。
今年8月の東京五輪の際は、3日目の終盤にトンプソンのキャディが熱中症で倒れ、その場で動けなくなるという不足の事態になり、驚きと動揺を隠せなかった彼女の表情がTV画面に大写しになったばかりだ。
その2か月前。6月の全米女子オープンでは、トンプソンは最終日に首位を走り、メジャー2勝目に迫っていた。しかし、終盤にガラガラと崩れ、優勝争いは畑岡奈紗と笹生優花のサドンデス・プレーオフへ。勝利を掴んだのは笹生、惜敗したのは畑岡。トンプソンは、すっかり忘れられた存在になった。
しかし、ティーンエイジャーのころから、さまざまな苦難を乗り越え、たくさんのスポットライトを浴びてきたトンプソンは、長い人生が山あり谷ありであることを熟知しており、いまさら一喜一憂することは、おそらくないと思いたい。
12歳で全米女子オープンに出場し、予選通過を果たしたトンプソンは、2010年に15歳でプロ転向。2011年には16歳で米女子ツアー(LPGA)初優勝を挙げ、史上最年少優勝の記録を塗り替えた。しかし、彼女はLPGAの年齢制限により、2012年まではツアーメンバーになることすら叶わなかった。
キャリアの始まりには、そんなトラブルもあったが、2014年にはクラフト・ナビスコ選手権(現・ANAインスピレーション)を制してメジャー初優勝を挙げ、通算11勝を誇る今では、誰もが認めるビッグスターだ。
2019年を最後に勝利からは遠ざかっているが、不調というわけではなく、彼女のゴルフは今も健在。だからこそ、全米女子オープンでは優勝に迫り、東京五輪では米国代表選手としてやってきた。
プロフェッショナリズム
東京五輪の際、トンプソンのキャディが猛暑の霞ヶ関カンツリー俱楽部で熱中症になってリタイアした後、3日目の残り3ホールはその場に居合わせた米女子ツアースタッフが臨時でバッグを担ぎ、最終日は試合会場で米TV中継スタッフとして働いていた米国人の元プロキャディが臨時キャディを務めた。
その2週間後。全英女子オープンに出場したトンプソンは、東京五輪でリタイアしたキャディとは「決別しました」ときっぱり言い切り、すでにスコットランドの地元キャディを伴っていた。
それはトンプソンが臆せず見せるクールな判断と動きだが、それと同時に、これまであまり知られていなかった彼女の流儀も世の中に知れ渡った。
「私はヤーデージブックを持たないので、距離のことは、すべてキャディに聞きます」
自分では距離のチェックも計算も歩測もせず、試合中の距離に関することは100%キャディに依存するというトンプソン。だからこそ、熱中症で突然キャディを失ったことは、彼女にとっては、距離判断がまったくできなくなったことを意味していた。
「ティグラウンドに記してある何ヤードという看板を見て、『ああ、何ヤードぐらいなんだな』と思うぐらいしか、あのときの私には、距離はわからなかった」
これほどまでに距離判断をキャディに頼る選手は珍しい。だが、その一方で、トンプソンがキャディに尋ねるのは「ピンまでの距離と球の落としどころ」の2つしかなく、それさえ聞ければ、あとは自分がその通りに打てばいいだけのこと。
そんなふうに、選手とキャディの作業や役割を完全に分業化し、シンプル化する姿勢は、自身の仕事とキャディの仕事の双方をリスペクトする彼女なりのプロフェッショナリズムの表れと言えるのかもしれない。
感謝と尊敬
そんなトンプソンは、スポンサーの存在や役割にも早くから感謝と尊敬を示し、スポンサー契約を結んでいる企業のチャリティ・イベントには積極的に参加してきた。
男女ゴルフ界の選手仲間が主宰するチャリティ財団やチャリティ・イベントにも、真っ先に賛同し、協力を惜しまない。
米女子ツアー選手のモーガン・プレッセルが創設したプレッセル財団による乳がん撲滅のためのキャンペーンやイベントには必ずトンプソンの姿がある。
2016年には地元フロリダで米男子ツアーのジミー・ウォーカーとジョイントでチャリティ・トーナメントを開き、「教育を受けることができない子どもたちに学びの機会と場を提供してあげたい」と語った。
全米キャディ協会や全米チェーンのドラッグストア「CVS」などが全米各地で行なうチャリティ・イベントにも、しばしばトンプソンが登場している。
さらにトンプソンは、米国の軍隊に対しても深い感謝と尊敬の念を示し、「乳がん撲滅キャンペーンのピンバッジと負傷兵を救うキャンペーンのピンバッジは、いつも試合会場に持って行く」という。
2017年5月の米女子ツアー大会、キングスミル・チャンピオンシップの開幕前には、こんな驚きの企画が催された。
水曜日のプロアマ戦のスタートの際、1番ホールのティグラウンドにトンプソンのキャディが現れ、彼女のゴルフバッグも置かれていたが、トンプソン自身の姿がなかった。
ギャラリーやプロアマ参加者たちは「レクシーはまだなのか?どうしたんだろう?」と不安そうな顔をしていた。
すると、空の上から、ネイビー(米海軍)の導きでスカイダイビングしたトンプソンがパラシュートで降下し、見事、1番ティに着地。サプライズで行なわれたこのショーに、人々は大喜びで拍手を送った。
「ネイビーのエリート集団であるシールズ(SEALs)と一緒にスカイダイビングすることは、私の長年の夢でした。我が国を守ってくれているミリタリーは素晴らしい。米国の軍隊をみんなでサポートしたいと思います」
それからしばらくの間、トンプソンは試合の土曜日には乳がん撲滅キャンペーンのシンボルカラーであるピンク色のシャツを着てプレーし、日曜日には軍隊へのサポートの意を込めてカモフラージュ・ブルーのシャツに身を包み、勝利を目指して戦った。
どれをとっても、実にユニークな社会貢献の仕方だが、プレーの仕方もキャディへの依存の仕方も、すべて自分なりの流儀を確立し、実践していくトンプソンらしいなと、つくづく思う。