パトリック・カントレーという選手をご存じだろうか。コロナ禍で2つのシーズンが統合された2020-2021年シーズンの終盤から、突然、スポットライトを浴び始めた29歳のアメリカ人選手だ。
以前は、あまり目立たない存在だったが、昨季は2020年10月のZOZOチャンピオンシップを制すると、2021年6月のメモリアル・トーナメントでも優勝。
シーズンエンドのプレーオフ・シリーズでは、第2戦のBMW選手権と最終戦のツアー選手権を続けざまに制覇し、シーズン4勝、米ツアー通算6勝を達成。
年間王者に授けられるビッグボーナス15ミリオン(約16億5000万円)を手に入れ、話題と注目を独り占めした。
シーズン4勝は昨季の米ツアーでは唯一で最多となったが、その4勝はいずれも手に汗握る接戦を制した上での見事な勝利だった。
ZOZOチャンピオンシップではジョン・ラームとジャスティン・トーマスを1打差で交わし、メモリアル・トーナメントではコリン・モリカワとのサドンデス・プレーオフを1ホール目で制した。
BMW選手権では6ホールに及んだサドンデス・プレーオフでブライソン・デシャンボーを下して勝利。最終戦のツアー選手権では、またしてもラームとの大接戦になったが、世界ランキング1位のラームを1打差で抑え、見事に逃げ切った。
そんなふうに昨季4勝の勝ちっぷりが、あまりにも見事だったせいだろう。カントレーに対する評価は一気に急上昇した。
「プレッシャーと戦うゴルフが大好きだ。すべての練習はそのためにある。そのためにゴルフをやっている」
どんな状況でも冷静に対処して勝利を重ねたカントレーには、いつしか「パティ・“アイス”」というニックネームが付けられた。ツアー選手権の優勝トロフィを掲げたカントレーの前にアイスキューブが山積みされたイラストがデザインされたTシャツまで発売され、飛ぶように売れた。
さらには、米ツアー選手たちによる投票で選出されるプレーヤー・オブ・ザ・イヤーも受賞。まさに、カントレーは時の人となった。
遅咲きの花
振り返れば、カントレーが米ツアーにデビューしたのは、日本の石川遼が米ツアーで正式メンバーになり、松山英樹が本格参戦を開始した2014年のこと。
そう考えると、カントレーのキャリアは、それなりに長く、デビューから7年後の今、ようやく開花した彼は「かなりの遅咲き」と言うことができる。
カリフォルニア出身のカントレーは名門UCLAを卒業後、2012年にプロ転向。下部ツアーで1勝を挙げた後、2014年から米ツアーで戦い始めた。
しかし、翌2015年にわずか1試合に出た後、腰を痛めて戦線離脱。2016年シーズンもすべて欠場。キャリアの始まりに2年も棒に振ったことは、新人選手にとっては、とても辛いスタートだった。
だが、2017年に公傷制度を利用して戦線復帰。その秋、シュライナーズ・ホスピタルズ・オープンで初優勝を挙げると、2019年メモリアル・トーナメントで2勝目を達成。
そのころから、彼はすでにクールなプレーぶりを披露していたのだが、その後に彼がシーズン4勝を挙げて年間王者に輝くことを予想していた人は決して多くはなかったと思う。
ファースト・レスポンダー支援が目標
キャリアの始まりで腰を痛め、戦線離脱した日々は「とても辛かった」とカントレーは振り返る。しかし、辛い冬の時代に「僕を支えてくれた人々がいて、その支えがあったからこそ、今、僕はこうしてゴルフができている」と深く感謝しているカントレーは、だからこそ、社会への恩返しに積極的だ。
自身の名を冠したパトリック・カントレー財団を創設し、2018年8月には当時の米女子ゴルフ界の女王だったメキシコ人のロレーナ・オチョアと一緒にロサンゼルス郊外でチャリティ・トーナメントを開催した。
その大会の観戦チケットは3か月前に完売したほどの大人気だったそうだが、言うまでもなく、ギャラリーのお目当てはカントレーではなくオチョアだった。
しかし、自分が注目の的であろうとなかろうと「社会に貢献したい」と、当時からカントレーは考えていたという。
「ゴルフを自分の仕事にできている僕は、とても幸運だ。そして、大好きなゴルフで得たものを社会へ還元できることに興奮さえ覚える。世の中にはゴルフをしたくてもできない子どもたちがいる。彼らの前に立ちはだかる経済的な障壁を取り除いてあげたい。才能やハードワークが必ずしもチャンスに巡り会えない現実を僕は知っている。そういう子どもたちや若者がちゃんと報われるよう、僕はそのための手伝いをさせてもらいたい」
近年では、生まれ故郷である南カリフォルニア(SC)のゴルフ団体SCPGAと協力して、ジュニアのトーナメントを毎年開催している。
そんなカントレーと彼の財団の何よりの特徴は、災害現場などに駆け付けて救急対応や救急処置にあたる「ファースト・レスポンダー」に対するサポートを最大の目的・目標に掲げている点だ。
財団創設後、最初に寄付などの支援を行なった対象は、オーストラリアの山火事の救急対応に当たった現地のファースト・レスポンダーだった。
「自らの生命の危険さえある中で、災害の被害者や負傷者の救急救命にあたる人々、その救急隊を援護する消防や警察、軍隊の人々。彼らがいてくれるからこそ、大勢の生命が守られている。そのお礼や恩返しを行なうことは当然であり、喜びでもある」
戦いの厳しい局面をクールに切り抜け、乗り切っていくカントレーと、切羽詰まった状況下で対応するファースト・レスポンダーには、どこか通じるものがあるように感じられる。
プレースタイルはクールだが、社会貢献や支援を喜びだと感じるカントレーの心は、とてもとても温かい。
そんな「パティ・“アイス”・カントレー」が、今、ようやく注目と人気の的になっている現実を、私は秘かに喜んでいる。