セルジオ・ガルシアと言えば、2017年にマスターズを見事に制したメジャー・チャンピオンだが、かつて「神童」「天才」と呼ばれていた彼が、メジャーを制覇するまでの道程は、あまりにも長く、そして険しかった。
「神童」の呼び名は、いつしか「悪童」に変わり、ガルシアは悪態ばかりを付く悪名高きプロゴルファーと化していった。その代償は大きく、ファンから激しく野次られるようになり、欧米メディアからも皮肉を込めた記事が発信された。
やがてガルシア自身、プロゴルフの世界が嫌になり、自信も失いかけ、「ゴルフへの意欲が無くなった」という言葉を残して、母国の実家にこもってしまった。
だが、彼は戦線に復帰し、ついに悲願のメジャー制覇を成し遂げた。
そんなガルシアの歩みを支えたものは、周囲の人々の優しさやサポートだった。彼が周囲から授かった温かいサポートは、彼自身がキャリアを通じてチャリティ活動や社会貢献を継続してきたからこそ得られたのだと私は思う。
「意欲が無くなった」
1990年代、まだ子どもだったガルシアは、スペインや欧州のゴルフ界では、すでに有名人だった。
米国で開催されるジュニアの大会にもしばしば登場。大会に出場していたアメリカンキッズたちは、まるで別世界から来たヒーローを眺めるような憧れの視線でガルシアに見惚れたものだった。
1999年に19歳でプロ転向。すぐさま米ツアーにデビューし、その年の夏、全米プロでいきなりタイガー・ウッズと熱い一騎打ちを演じた。勝利したのはウッズだったが、ガルシアは世界中から注目される存在になった
しかし、眩しいスポットライトを浴びるうちに、ガルシアはひどく横柄な態度を取るようになり、プレー中に暴言を吐いたり、クラブを放り投げたり、キャディが肩から下げているゴルフバッグをサンドバッグ代わりにしてクラブで激しく叩きつけたこともあった。ショートパットがカップに蹴られたら、カップの中に唾を吐き、ルール委員の裁定に不満を覚えた際は、履いていたシューズを脱いで、ルール委員に投げつけたこともあった。
それでも結果は出し続け、2001年の初優勝後は毎年のように勝利を挙げた。2002年には年明けに開催されるメルセデス選手権で優勝。その直後に社会貢献のための基盤として「セルジオ・ガルシア財団」を創設した。
だが、メジャー大会では何度も勝ちかけながら、どうしても勝てず、そのジレンマはガルシアの言動を一層おかしくしていった。プレー中の悪態はとどまるところを知らない様子で、そんなガルシアが地道に社会貢献活動を行なっていることが報じられる機会は、ほぼ皆無だった。
どうしてもメジャー優勝を挙げられなかったガルシアが、今度こそメジャーを制すると誰もが思ったのは2007年の全英オープンだった。初日から3日間首位を独走。しかし、最後の最後にパドレイグ・ハリントンに追いつかれ、そしてプレーオフで敗北した。
英国メディアは「ナイスガイが勝つ」という見出しを掲げ、ナイスガイではないガルシアの敗北を皮肉った。
そんなことを繰り返しているうちに、さすがの「悪童」も徐々に弱気になっていった。2008年のメモリアル・トーナメントでは、試合中にギャラリーから「アメリカはオマエが嫌いなんだよ、セルジオ!」と汚い言葉を投げつけられ、ガルシアは一言も言い返せないまま、唇を噛み締め、フェアウエイに立ちすくんでいた。
「ゴルフへの意欲が無くなった」
ガルシアがそう漏らしたのは2008年の終盤のこと。以後、ガルシアは勝利から遠ざかり、その姿も見えなくなった。
「誇りに思う」
2011年の秋、ガルシアは欧州で2週連続優勝を挙げ、「泣いた」というニュースが飛び込んできた。
「もう2度と立ち直れないと思ったこともあったけど、家族や友人、スペインの故郷の人々に支えてもらったおかげで再び勝つことできた。みんなのおかげで優勝できた。これまで僕は驕っていた。苦しい時期に僕を信じてくれた人々にお礼を言いたい」
翌2012年、米ツアーでもウインダム選手権を制し、4年ぶりの復活優勝。ガルシアはファンに笑顔で応えるようになり、日に日に「ナイスガイ」になっていった。
2002年の創設以来、母国で彼なりに地道に続けてきた自身の財団の活動を、そのころから一気に活発化した。
2014年にはスペインで自身初めてのジュニア・ゴルフ・アカデミーを開催。
「ゴルフをするときは、競い合うのではなく、楽しみながらやろうね」
集まった子どもたちに、ガルシアは笑顔でそう語りかけていた。
2016年にはAJGA(全米ジュニアゴルフ協会)に「セルジオ・ガルシア財団ジュニア・チャンピオンシップ」という大会を創設。その直後に、AT&Aバイロン・ネルソンを制し、米ツアー9勝目を挙げた。
その夏、ロイヤル・トゥルーンで全英オープンが開催された数日後、ガルシアは欧米ツアー仲間の有志を募り、現地でチャリティ・プロアマ大会を開いた。ナイスガイになったガルシアに協力しようと集まった選手は、ローリー・マキロイやリッキー・ファウラー、アダム・スコット、ジャスティン・トーマスなど実に17人に膨れ上がり、高額の寄付金を集めることができたそうだ。
「たくさんの友人や仲間たちとチャリティ・プロアマができたことを僕は誇りに思う」
いつしか大勢の人々がガルシアの周囲に集まるようになり、そうした人々にガルシア自身が「頑張れ」と励まされた。
2017年マスターズ最終日、「勝っても負けても僕の人生は美しい」と自分に言い聞かせ、穏やかに微笑みながらティオフしたガルシアは、ピンチを切り抜け、プレーオフを制し、73ホール目でウイニングパットを沈めた瞬間、大観衆に向かって万歳のポーズ。
人々を支えたからこそ、人々に支えられ、悲願のメジャー優勝を達成したガルシア。彼の歩みを眺めるにつけ、チャリティや社会貢献は、もしかしたら巡り巡って自分自身の助けになるものなのかもしれないと思えてくる。