ブルックス・ケプカは「メジャー男」と呼ばれている。
それもそのはず、2017年の夏以降、わずか3年足らずの間に次々にメジャー4勝を挙げたのだから、メジャー優勝に迫っては惜敗している「メジャータイトル無きグッドプレーヤー」たちからすれば、まさに妬ましいほど羨ましい勝ち方を遂げている。
そんなケプカが通算7勝目を挙げたのは今年7月のフェデックス・セント・ジュード招待だった。この大会は、昨年までは米ツアーのレギュラー大会として開催されていたが、今年からは世界選手権シリーズに格上げされた。とはいえ、開催コースは従来通り、テネシー州メンフィスのTPCサウスウィンドのままで行なわれた。
72ホール目の18番でウイニングパットを沈めたケプカ。この勝利は彼にとって初の世界選手権タイトルになったのだが、そんなビッグな優勝を喜ぶことも束の間、すぐさまケプカは視線を近寄ってきた幼い少年の方へ向け、固い握手とハグを交わした。
少年の名はリードくん。地元メンフィスにあるセント・ジュード病院の患者の一人だ。18番グリーン脇に立ち、ケプカのプレーを真剣な眼差しで見守っていたリードくんは、この日、優勝者と握手する瞬間を何より楽しみにしていたという。
そして、ケプカも、この日、この場所で、重い傷病と戦いながら必死に生きる子供たちと会うこと、握手やハグを交わすことを、とても楽しみにしていた。
その証拠に、実を言えばケプカは、この大会の前週からずっと体調が悪く、試合会場では練習もできずに宿舎へ引き上げるほどで、最終日のスタート前はウォーミングアップさえできなかった。だが、そんな中でも、ケプカはどうしてもこの大会をきっちり戦い終えたい、そうしなければならないと考えていた。
彼がそういう気持ちになったのは、彼のこれまでの歩みと無関係ではなく、そして2年前のある出来事がきっかけになっていた。
「僕の人生を変えるほどの衝撃」
フロリダ州で生まれ育ったケプカは、地元フロリダ州立大学を卒業後、数々のタイトルを獲得し、2012年にプロ転向した。しかし、当時の米ツアーへの登竜門だったQスクール(予選会)でまさかの失敗を喫したケプカは戦う場を求めて欧州へ渡り、欧州の下部ツアーから欧州ツアーへ、その実績を引っ提げて米ツアーへという独自ルートを歩んできた。
2015年のフェニックス・オープンで松山英樹との死闘を制し、米ツアー初優勝。2017年には全米オープンを制し、メジャーチャンピオンに輝いて気勢を上げた。
このころのケプカは、まさに怖いもの知らずで、イケイケ状態だった。ただただ突進し、「周りには目もくれない状態だった」。
そんなケプカが大きな衝撃を受けたのが、前述のフェデックス・セント・ジュード招待の前身で、昨年までは米ツアーのレギュラー大会だったフェデックス・セント・ジュード・クラシックにおける、ある体験だった。
大会開幕前、ケプカはチャリティ活動の一環として、大会スポンサーであるセント・ジュード病院を訪ね、そこで重い傷病と闘っている子供たちやその家族と初めて直に接した。 「必死に生きる子供たち、懸命に支え続ける家族。その姿、その苦労を間近に見聞きしたあの体験は、僕の人生を変えるほど衝撃的だった。あれは、運命の出会いだった。あの病院で戦っている子供たちの苦悩に比べたら、僕が向き合うものなんて、何でもない」
「喜びを分かち合いたい」
そう思ったことが、それからのケプカの心を強くしてくれた。
2018年の春は、手首を故障し、マスターズ欠場を余儀なくされて失意のどん底へ突き落された。だが、セント・ジュード病院で出会った子供たちのことを何度も思い出し、「ネバー・ギブアップだ!」と自身に言い聞かせた。
治療法を求めて、方々の病院を巡り、挙げ句の果てには藁をも掴む思いで馬専門のカイロプラクターの門を叩いた。そして回復し、5月に戦線復帰すると、すぐさま6月の全米オープンを制して連覇を達成。8月には全米プロを初制覇した。
そして今年は全米プロを連覇して「メジャー男」の異名を不動にし、さらには世界選手権シリーズに格上げされたフェデックス・セント・ジュード招待も制して、通算7勝目を挙げた。
やはり、2年前にセント・ジュード病院を訪ね、気丈に生きる子供たちと接したことが、ケプカの心の糧となり、新たな強さとなっているとしか思えない。その強さが彼に次々にビッグな勝利をもたらしてきた。
そのことを誰よりも強く認識しているからこそ、ケプカは体調不良を押して同大会に出場し、4日間を戦い抜く自分の姿を子供たちに見せたいと思っていた。戦い終えたら、その喜びを子供たちと分かち合いたいと願っていた。
その願いが彼をさらに強くしたのだろう。ケプカは72ホール目のグリーン脇で待っていたリードくんと、優勝の喜びを分かち合うことになった。
「自分流」チャリティ
セント・ジュード病院で子供たちと出会ったことで、ケプカの心は強く前向きになったが、ケプカの中に生じたもう1つの変化は、社会貢献やチャリティに目を向ける姿勢が強まったことだった。
米ツアー選手たちの多くは、結婚後に自分と妻の名前を冠した財団を創設してチャリティ活動を行なっており、未婚のケプカはまだ自身の財団を立ち上げてはいない。
だが、いわゆる「通例」や「常道」にとらわれず、自分が思い立ったら即アクションを起こすというのがケプカの流儀だ。
今年7月の独立記念日の週にミネソタ州で開催された米ツアーの新大会3Mオープンで、ケプカは初日のラウンド後、突然、履いていたシューズを脱いで大会ディレクターに「これをチャリティ・オークションに出してほしい」と依頼した。
そのシューズはケプカが2016年のライダーカップで履いた思い出のシューズ。これを大会会場でサプライズのオークションにかければ、愛国心の強い米国ファンの間では、独立記念日のお祭りムードと相まって高値が付くはず。 「その値段と同額を僕が追加し、ダブルにしてミネソタの小児病院に寄付しよう」
思い立ったら突き進むケプカの生来の姿勢は、今、そんなふうに生かされている。財団をベースにしてシステマティックに進めていくチャリティ活動がある一方で、こういうチャリティの仕方もある。
さすがツアーデビューの仕方も、ゴルフの戦い方も、考え方も、独自路線を行く世界ナンバー1だけのことはある。社会貢献の方法も、なかなか粋である。