PGAツアーには50歳以上のシニア選手を対象としているチャンピオンズツアーというものがある。
そこには往年の名選手たちが勢揃いしているため、「PGAツアーのレギュラー大会を見るより、お馴染みの顔ばかりのチャンピオンズツアーのほうが面白い」という声をしばしば耳にするほど、米国では高い人気を誇っている。
今年10月下旬に開催されたチャンピオンズツアーのコンステレーション・フューリック&フレンズのディフェンディング・チャンピオンは、かつての国民的スター選手、フィル・ミケルソンだった。
しかし、ミケルソンは今年6月にグレッグ・ノーマンが創設したリブゴルフへ移籍し、PGAツアーから資格停止処分を科されたため、もはや、この大会に出場することはできなかった。
ディフェンディング・チャンピオン不在となった大会で、ミケルソンに代わって最大の注目を集めたのは、昨年の同大会でミケルソンに敗れて2位になったミゲル・アンヘル・ヒメネスだった。
ヒメネスの名前を聞いて、すぐに顔姿を思い浮かべることができるゴルフファンは、日本では、さほど多くはないだろう。
スペイン出身のヒメネスは現在58歳。いつも大好きなシガー(葉巻)を手にしているか、あるいは口にくわえているかのどちらかで、いつもちょっぴりシニカルなジョークを披露しては、フフフと笑う陽気な性格だ。
スイングも現代の若い選手たちのテキストブック・スタイルとは正反対で、非常に個性的だ。クラブを「振る」というより、「操る」ようなスイングだ。しかし、シニア選手とは思えないほど彼のスイングは今もパワフルだ。
米国のゴルフ解説者や他選手たちは「ミゲルのスイングは何十年も変わらない」「50歳当時と同じぐらいのスイングスピードを今も維持している。むしろスピードアップしている」と驚き交じりで絶賛している。
そう、「カリズマティック・スパニアード(カリスマみたいなスペイン人)」「エイジレス・スパニアード(不老のスペイン人)」などと呼ばれているヒメネスは、何から何までユニークでパワフルだ。
アメリカは淋しすぎる
ヒメネスはスペインの貧しい家庭で生まれた。父親は家のガレージで車の修理業を細々と営んでおり、ヒメネスは7人兄弟の5番目で、彼を含む4人がプロゴルファーになった。
とはいえ、当時の彼らが歩んだプロゴルファーへの道は、現代のようにジュニア時代から英才教育を受け、たくさんの試合を経験して腕を上げていくものとは正反対のイバラの道だった。
生きるためには、それ以外に選択肢がない。そんなドン詰まりの中で意を決して選んだ厳しく険しい道だった。
兄たち同様、ヒメネスも幼いころから近所のゴルフ場でキャディとして働きながら、わずかな生活費を稼いだ。
プレーする客たちの姿を眺めながら見よう見まねでゴルフを覚え、拾った木の枝をクラブに見立てながらスイング練習を繰り返した。
今でもヒメネスのスイングは極端なアウトサイドイン軌道だが、それはクラブもコーチも練習時間も何もない中で、彼が彼なりに身に付けた彼だけの宝物だ。
中古ながら本物のクラブを手にしたのは14歳のときだった。ある篤志家から厳しい条件付きで経済的サポートを得たヒメネスは、血がにじむような努力でプロを目指し、めきめき上達し、わずか4年でプロになった。
1988年に欧州ツアーにデビュー。1992年に初優勝を挙げ、以後、次々に勝利を重ね、2000年からは渡米してPGAツアー参戦を開始した。
葉巻が大好き、車いじりも大好きで、「メカニック」という愛称で親しまれるヒメネスの存在は、世界のゴルフ界に知られるようになった。しかし、2004年の終わりごろ、彼は、ぼそっと、こう打ち明けた。
「来年からアメリカに来るのはメジャーやビッグな大会のときだけにする。アメリカのライフスタイルは、私には合わない。アメリカは淋しすぎる」
結局、PGAツアーでは1勝も挙げられないまま、ヒメネスは母国のある欧州へ、ひっそりと引き上げていった。
ゴルフが好きだし、戦うのは楽しい
しかし、PGAツアーからの撤退は、ヒメネスにとっては大いにプラスに働いた。
アメリカ生活は肌に合わない、淋しい、つまらないと感じていた間、PGAツアーで戦うことは、彼にとっては精神的にマイナスになっていたが、生まれ育ったスペインに戻り、再び欧州で戦い始めてからは、彼のメンタル面はすっかり整い、だからこそ技術が活かされ、彼は水を得た魚のように世界各国で通算21勝を挙げた。
心身ともに充実したおかげで成績もみるみる向上。メジャー4大会などで年に数回、試合会場で顔を合わせると、ヒメネスはニヒルな笑みを浮かべながら「オラッ!」と声をかけてきた。
「私は50歳になってもアメリカでチャンピオンズツアーに出るつもりはないよ」
そう言っていたヒメネスだが、2014年のバースデーを迎えるやいなや、待ち切れなかったといわんばかりの勢いでシニアの世界に飛び込み、そこから先は水を得た魚のようにチャンピオンズツアーで通算13勝を挙げてきた。
「なぜ必死に練習し、戦うか?だって、ゴルフが好きだし、戦うのが楽しいし、勝ちたいからね」
できる限りの恩返しだ
その楽しさを母国スペインの子どもたちやプロを目指すゴルファーたち、あるいはゴルフを知らない人々にも経験してもらいたい一心で、ヒメネスは2013年にミゲル・アンヘル・ヒメネス・ゴルフアカデミーを創設した。
自ら設計した18ホールの戦略的なパー3コース、芝から打てる40打席を擁する練習場、バンカー練習場や練習グリーンなどが完備されており、ジュニアから大人まで、初心者からプロ予備軍まで、「誰もが利用できるマルチなゴルフスクール」になっている。
「私は本物のゴルフ場で働きながらも、その環境で存分に練習を積むことができなかった。だから、その分、未来を担う子どもたちやゴルファーには素晴らしい練習環境を与え、心行くまで練習してほしいし、そうさせてあげたい」
たくさんの人々に支えられながらプロゴルファーになったヒメネスにとって、そうすることは「私からのできる限りの恩返しだ」。
ヒメネスがしみじみとそう語ってくれた日のことが、私は今でも忘れられない。