1年前。2020年の年明けにハワイで開催された米ツアーの新年初戦、セントリー・トーナメント・オブ・チャンピオンズでヤングプレーヤーたちが優勝争いを演じていた。
コリン・モリカワ、マシュー・ウルフといった期待の若者たちとともに、一番明るい笑顔を輝かせていたのは、ホアキン・ニーマンだった。
ニーマンはチリ出身で現在22歳。2018年にプロ転向し、2019年(2020年シーズン)のミリタリー・トリビュート・アット・ザ・グリーンブライヤーで見事に初優勝を挙げ、米ツアー史上初のチリ出身のチャンピオンになった。
偶然か、必然か。ニーマンは2017年のグリーンブライヤーで米ツアーにデビューし、2018年の同大会で米ツアー出場権を確定させ、そして2019年の同大会で初優勝を飾った。
その着々とした歩みをニーマンが優勝会見で自ら感慨深げに語っていたことが、とても印象的だった。
夢を抱き、その夢の実現を念じ続け、本当に実現していっている。
「チリのゴルフをもっともっと大きくしたい」
母国のゴルフ界の成長と発展を願うこの若者が、とても頼もしく感じられた。
そのニーマンが2020年の初戦、セントリー・トーナメント・オブ・チャンピオンズに臨む際、新年の夢をツイッターで発信していた。
「ショートゲームとパッティングにもっと前向きになる」
「家を買う」
「腹筋を鍛える」
「もっとアボカドを食べる」
どんな夢も1つ1つ正夢と化してきたニーマンのことだから、どちらかと言えば庶民的なこれらの夢は必ずや実現するだろうと、そのとき私は思った。
しかし、これらの夢のその後の行方を知る以前に、ニーマンがこれらとはまったく異なるある目標を達成しようと必死になっていることを知らされたのは、昨年の暮れだった。
白いリボン
昨年12月。米ツアー大会のマヤコバ・ゴルフ・クラシックで、出場選手たちがみな白いリボンを付けてプレーしていた。その白いリボンを持ち込んだのが、実を言えば、ニーマンだった。
ニーマンの従弟(いとこ)、生後1か月のラフィータくんは、生まれて間もなく、脊髄性筋萎縮症という1万に数人の難病と診断され、「このままだと長くても2年ぐらいしか生きられない」と医師から告げられた。
命の灯を消さないための唯一の方法と言われているのは、ゾルゲンスマという新薬だそうだが、その注射は母国チリでも米国でも、2ミリオン(=2億円超)以上を要する高額だそうだ。
ニーマンは、その費用をなんとかして作り出そうと思い立ち、11月のRSMクラシックと12月のマヤコバ・ゴルフ・クラシックにおける自身の獲得賞金全額を寄付することを決めた。
さらに、バーディーを1つ取るごとに5000ドル、イーグルなら1万ドルを追加で寄付することにした。
そしてニーマンは、白いリボンが山ほど入った袋を試合会場へ持ってきて、1番ティと10番ティに置いた。試合に出ている選手やキャディにリボンを付けてもらい、ラフィータくんの病気のことを社会に広めてもらおうと考えたからだった。
もちろん、米ツアー仲間たちも、開催地だったメキシコの大会関係者たちも、みなリボンを手に取り、そのリボンが何のためのものであるかを知り、心の中で「頑張れ」とエールを送りながら、リボンをキャップや洋服に付けてくれたそうだ。
ニーマンはクラウドファンディングでもラフィータくん支援ページを立ち上げ、寄付を募った。
そうやって、できる限り、考え付く限りのことをすべて行ない、本業のゴルフでも、少しでも多くの賞金を稼いで寄付を増やそう、注射費用の2ミリオン(200万ドル)を集めようと、ニーマンは必死になっていた。
ゴルフをする意味
暦が2021年に変わり、ニーマンは今年も新年初戦のセントリー・トーナメント・オブ・チャンピオンズに出場するため、ハワイ入りした。
ニーマンの元に寄せられた寄付金は、すでに目標の2ミリオンに近づきつつあった。ニーマン自身がRSMクラシックとマヤコバ・ゴルフ・クラシックで稼いだ賞金の全額、それに彼自身が獲得したバーディーやイーグルに基づく寄付金、そしてニーマンの呼びかけに応じて次々に寄付をしてくれた世界中の人々の協力が得られたからこそ、寄付金総額は短期間にスピーディーに増えていった。
「とりわけメキシコの人々からのサポートは大きかった。ラフィータのために10万ドルぐらいの単位で支援金を寄せてくれて、僕は驚きながら喜びました。
今、目標の2ミリオンの95.97%の寄付が集まっています。僕自身、こうして従弟のために活動できることは大いなる喜びです。そして、この米ツアーを通じて大勢の人々からサポートが得られることは、この上なく素晴らしいことです」
プロゴルファーとしてのニーマンの目標は「もちろん、いつか世界ナンバー1になること。すでにレギュラー大会では初優勝できたので、次は必ずメジャー大会でも優勝したいと思っています」。
しかし、試合で勝つこと以上に、困っている人、苦しんでいる人に救いの手を差し伸べることは「1人の人間としての僕の何より大切な目標であり、夢であり、それが、僕が職業としてゴルフをする意味なのです」。
セントリー・トーナメント・オブ・チャンピオンズの最終日、ニーマンはスコアを9つ伸ばす猛追をかけ、64をマークして首位に浮上した。しかし、優勝争いは初日から好調だったベテラン選手のハリス・イングリッシュとのサドンデス・プレーオフへもつれ込み、1ホール目でバーディーパットを沈めたイングリッシュの勝利で幕を閉じた。
残念ながらニーマンは2位に甘んじた。その翌週のソニー・オープンでもニーマンは惜敗した。しかし、その賞金を追加して、寄付金は2ミリオンを突破し、ラフィータくんの注射の費用が賄えるようになった。
試合で負けたニーマンが、それでも明るい笑顔を輝かせていた理由は、そこにあった。その笑顔を見て、ラフィータくんを思う世界中のファンや人々も、そして私も、自ずと笑顔になった。