はじめに
「中国株」という日本語の言葉は、1990年代に誕生した。そのころの中国株は、一部の投資家が知っている程度の“ちっぽけな存在”でしかなかった。1989年の天安門事件から日も浅く、中国株という言葉にリスキーな印象を受けた人もいただろう。
中国経済は1990年代から高成長が続き、それを伝えるニュースも増えた。2000年代に入ると中国株を売買する日本人投資家も大幅に増加し、証券会社主催の勉強会やセミナーが賑わった。それでも中国株は“知る人ぞ知る”という程度のものだった。
その中国株が世界を揺るがしたのは2007年2月27日。上海総合指数が前日比で8.8%安となり、それをきっかけに世界同時株安が起きた。初めての中国発の世界同時株安に、多くの投資家が戦々恐々となった。“わけの分からない国のわけの分からない株式”が世界を混乱に陥れたのだから。
世界の株式市場に影響を及ぼし始めた中国株だが、それは悪いことばかりでもない。2008年9月19日の朝方に上海市場のほぼ全銘柄がストップ高となった。上海総合指数の日中足は、心停止状態の心電図のような横一直線となり、前日比9. 5%高を記録。世界同時株高となった。
“ちっぽけな存在”だった中国株が、わずか十数年で世界を揺るがす存在となってしまった。これだけの影響力を持つにもかかわらず、中国株は今日でも“わけの分からない国のわけの分からない株式”というイメージが拭えない。あたかも世界の金融市場の“特異点”のようになってしまっている。だが、それが世界に影響を及ぼしている以上、無視することはできない。
この“特異点”の奥底には、日本から見えない流れがある。その“底流”に光を当てるのが、今回から始まる連載だ。
そもそも中国株とその市場は、成り立ちからして特異。現在でも世界に類のない極めて特殊な株式と証券市場だ。その底流は長い年月と様々な出来事を経て形成された。
そこで、中国株とその市場の誕生から振り返り、どのようにして今日のような姿になったのかを見ていこう。そこにある様々な物語を見れば、中国株とその市場だけではなく、その背後にある中国の人々と国家の本当の姿が浮かんでくるだろう。
平成29年正月吉日
内藤証券中国部 情報統括課長 千原靖弘