上海市最大の繁華街“南京路”
人と車で混雑する中、歩道で夕涼みする人々
90年代ならではの光景
1990年代に中国本土を訪れた人は、明るい将来像を見据えた熱気や活気を感じると同時に、社会の激変にともなう無秩序ぶりも目撃したのではないだろうか? 1997年9月に初めて訪中した筆者は、留学先の上海市のほか、広東省深圳市、返還直後の香港、北京市などを訪れたが、いずれの地域でも同じような雰囲気を感じた。
2021年の南京路 その当時に比べ、現在の中国本土はかなり整然とし、1990年代の面影は少なくなっている。無秩序からの健全化が進んだ結果であり、属人的な混沌は薄れ、機械的な秩序が支配するようになった。別の言い方をすれば、融通は利かなくなり、ルールの束縛を受けるようになった。それは証券市場でも同様だった。
そこで今回は、中国本土の証券市場が無秩序から健全化に向かった転換点を紹介する。
ところで、この連載では初回から第二十八回にかけて、中国本土の出来事を中心に紹介したが、第二十九回からは話の舞台を香港に移した。第四十五回からは香港を中心としながらも、中国本土やアジア諸国にも話題を広げた。特に1997年の香港返還やアジア通貨危機に差し掛かってからは、その傾向が強くなったと思う。
1997年は中国本土や香港にとって大きな節目であり、かなり重点的に紹介した。それにまつわる話は、もう出尽くした感がある。そこで今回からは、話の中心を再び中国本土に戻すことにする。
中国本土の証券市場では、1995年に起きた“327国債先物事件”が大きな節目であり、これを本連載では第二十八回で紹介した後、話の中心を香港に移した。今回から話の中心を中国本土に戻すに当たり、まずは327国債先物事件を簡単に振り返ることにする。
327国債先物事件
国債先物の口座開設に集まる投資家 327国債先物事件が起きた1995年2月23日は、“中国本土の証券史上、最も暗い一日”と呼ばれた。
1992年発行の3年物国庫券の先物取引(327国債先物)が過熱。その利回りに対して、インフレ補填率の引き上げが実施されるか否かで、買い手と売り手の思惑が錯綜した。
インフレ補填とは、物価上昇を考慮し、利子や利回りを追加する仕組み。例えば、物価上昇が年2%進むなかで、預金金利が1%だった場合、100元だったものは1年後に102元となる見込みだが、同額の現金を預金した場合には、101元にしかならない。
つまり、いま100元の物を1年後に買おうとして預金しても、物価上昇のせいで買えなくなる。預金すれば、現金が購買力を失うことから、このような状況を“実質マイナス金利”という。
この実質マイナス金利を解消するのがインフレ補填であり、中国語では“保値儲畜”と呼ばれる。中国本土では1950年代初期のほか、1988年9月10日~1996年3月31日など、物価高騰期にインフレ補填が実施された。補填率とはどれくらい補填するかの割合を意味し、インフレ率から現在の利回りを引いて算出する。
327国債先物のカギを握るインフレ補填率の引き上げは、財政部(財政省)だけが知っているという状況。この92年3年物国債の先物取引には、深い闇があった。
投資家でにぎわう万国証券の店頭 財政部の後ろ盾がある中国経済開発信託投資公司(中経開)は補填率の引き上げがあると確信し、327国債先物を大々的に買いあさった。一方、管金生が率いる証券最大手の万国証券は、当時の財政状況を念頭に、補填率の引き上げはあり得ないと考え、327国債先物を売りまくった。
財政部は1995年2月22日にインフレ補填率の引き上げを発表。23日は327国債先物が買い一色となり、価格が高騰。売り方の万国証券は、327国債先物が1元上昇するたびに、十数億元の損失を出す状態となり、破綻の危機に追い込まれた。
2月23日の327国債先物の価格推移
取引終了間際に価格がほぼ垂直降下
自暴自棄となった万国証券は、23日の取引終了まで7分47秒という段階で、ルール無用の売りを敢行。わずかな時間で万国証券が出した売り注文は、当時の国債発行残高の2倍を超え、決済不能に陥った。売り注文の金額は、1994年の国内総生産(GDP)の4%を超える規模だった。
万国証券の狂気とも言える7分47秒の売り注文で、327国債先物は151.3元から147.5元に急落し、市場は騒然となった。
327国債先物の取引解消作業 23日の午後11時に中国中央電視台(CCTV)は全国に向け327国債先物事件を報道。午後4時22分13秒以降の注文はすべて無効とされ、その日の終値は151.3元であると全国民に伝えた。同時に327国債先物取引を停止し、27日から全取引の解消を組織的に進めると発表した。
取引解消の状況を会社に報告する関係者 中国証券監督管理委員会(CSRC)は1995年5月17日の会議で、翌5月18日から全国で国債先物取引を停止すると決定。CCTVを通じて全国に伝えた。それから約18年間、2013年9月6日に中国金融先物取引所が再開するまで、中国は国債先物取引とは無縁の国となった。
事件の闇
万国証券の管金生は、最果ての海南島に逃亡したが、1995年5月に逮捕され、1997年2月に懲役17年の実刑判決が下された。高嶺、高原、高山の三兄弟が率いる遼寧国発という会社は、万国証券と連携して327国債先物を売っていた。高三兄弟は海外に逃亡したもようで、現在も生死不明だ。
財政部との関係が深い中経開は、インサイダー取引(内部者取引)の疑いが指摘されるものの、何の処分もなかった。だが、中経開の上海営業部で総経理(マネージャー)を務めていた戴学民は、1995年末に滞在先の北京市で何者かに刃物で刺された。戴学民は通報せず、病院で応急措置を済ませると、ただちに飛行機で北京市を脱出したという。
逮捕された戴学民 2001年4月に江蘇省南京市の検察が戴学民に対する捜査を始めると、彼は妻子を連れて海外に逃亡。不慣れな英国のロンドンでひっそりと生活を続けたが、数年後に偽名を使って帰国。2015年に逮捕され、2016年7月に懲役6年の実刑判決が言い渡された。
中経開は乱脈経営を理由に2002年6月に解散。327国債先物で儲けたはずの巨額の資金は残っておらず、闇に消えた。
魏東の葬儀 戴学民の部下だった魏東は、327国債先物で大もうけした人物の一人。魏東の父親は財政部で働いており、インフレ補填率に関する機密文書を密かに入手していたと噂される。魏東は327国債先物で得た資金を元手に、上海涌金実業を設立。上場企業を買いあさり、“涌金帝国”と呼ばれるまでに成長した。
しかし、魏東は2008年4月に自宅である北京市の高級マンションで投身自殺。自殺の動機をめぐって、さまざまな憶測が流れた。
証券市場の転換点
改革開放の始まりとともに自然発生した中国の証券界は、有能な人物や彼らを支える地方政府が、その発展を促した。この連載の第二十二回で紹介した1992年の8.10事件を機にCSRCが発足し、中央政府が証券界の監督管理に乗り出したものの、惰性に任せた行政計画、地方政府の静かな抵抗、急激な相場変動などにより、混沌とした状態が続いていた。しかし、327国債先物事件という不祥事が起きたことで、中央政府は証券界の監督管理を本格化させる。
辞任に追い込まれた上海証取の尉文淵・総経理 証券界の発展を個人に任せる時代は終焉に向かった。株式市場の萌芽期に活躍したCSRCの劉鴻儒・主席は、327国債先物事件を受け、1995年3月に辞任。上海証券取引所の創設に貢献した尉文淵・総経理も、9月15日に依願退職に追い込まれた。10月23日には深圳証券取引所の夏斌・総経理のほか、日本で証券市場を学んだ禹国剛・副総経理も辞任した。
その後、1996~1999年にかけて証券界をめぐる地方政府の影響力が徐々に削がれ、中央政府による監督管理権が強化される。勢いに任せて成長してきた中国本土の証券界は、327国債先物事件を契機に、中央政府による管理の時代を迎えることになった。
事件後の株式相場
国債先物市場が全面閉鎖となった1995年5月18日、当時は制限値幅もなかったことから、上海総合指数は前日比31.0%高の763.50ポイントで取引を終了。前日終値の582.88ポイントからの上げ幅は180.62ポイントに達した。
急騰の原因は、国債先物市場の資金が株式市場に流入したからであり、前日終値の翌19日も12.1%高の大幅続伸。翌営業日の22日は4.9%高の897.42ポイントで終了。この3日間で54.0%も上昇した。
しかし、この急激な上昇の反動から、23日は前日比16.4%安の750.30ポイントで終了。その後の株式相場は軟調となり、1995年の上海総合指数は555.28ポイントで終了した。
1996年の春節(旧正月)が明けたばかりの3月4日、上海総合指数は前日比8.9%高の602.02ポイントを付けた。背景にはインフレの鎮静化と銀行金利の低下があった。預金金利が下がったことで、個人投資家は株式投資への意欲を高めていた。
CSRCが5日に各種先物市場をめぐる相場操縦や詐欺行為を厳しく取り締まる方針を明らかにすると、株式市場への資金流入が加速した。4月1日に中央銀行である中国人民銀行が預金金利へのインフレ補填を停止すると発表。すると、預金から株式市場への資金流入も増加した。これを背景に、株式市場は活況となった。
この年の10月23日に上海総合指数は終値が1,000ポイントの大台を突破し、1,010.83ポイントを付けた。株価の上昇は狂乱的であり、まったく投資価値のない“ゴミ銘柄”でさえ、株価が高騰。この事態を中央政府も危惧した。
十二道金牌の故事
阿骨打(アクダ)の騎馬像
黒竜江省ハルビン市の金上京歴史博物館
話は12世紀にさかのぼる。中国の東北地方に割拠していた女真族は、阿骨打(アクダ)によって統一され、1115年に金王朝が建国された。金王朝は1125年に中国の宋王朝に侵攻し、華北地域を蹂躙。宋王朝の欽宗皇帝は、1126年に帝都の開封で金王朝の軍に捕らえられ、女真族の本拠地である東北地方に連れ去られた。この事件を“靖康の変”という。
欽宗皇帝の弟である趙高は南方に逃れ、南宋王朝を建てた。南宋王朝は1138年に現在の浙江省杭州市に遷都し、ここを“臨安府”と改称した。
岳飛の塑像(高さ4.5メートル)
浙江省杭州市の岳王廟
臨安府に移った南宋王朝の朝廷では、金王朝との関係をめぐり、宰相の秦檜をはじめとする講和派と将軍の岳飛に代表される主戦派が、激しく対立した。将軍の岳飛は、背中に「尽忠報国」(忠義を尽くして、国に報いる)という刺青を彫った愛国者。民衆からの人気も高く、これを宰相の秦檜も恐れた。
岳飛は1140年に金王朝を討伐する軍隊を起こし、帝都だった開封まであと一歩に迫った。こうした状況に焦った秦檜は、岳飛に緊急命令書を発した。
当時の緊急命令書を“金字牌”という。木製の牌に金色の文字が施されていたからで、略して“金牌”と呼ばれていた。開封の攻略を進める岳飛らの討伐軍は、撤退を命じる金牌を1日のうちに12通も受領。討伐軍の諸将が引き上げ始めたことから、大勝利を目の前にした岳飛も孤立の危機に追い込まれ、撤退を余儀なくされた。
この故事から事態が急を要することを“十二道金牌”というようになった。“道”とは金牌を数える際の助数詞を意味する。
ひざまずく秦檜夫婦の像
浙江省杭州市の岳王廟
金王朝との講和を進める秦檜は恐怖政治を敷き、邪魔者の岳飛に冤罪を着せ、謀殺した。岳飛の冤罪が晴れたのは1162年で、“鄂王”として追封された。臨安府には“岳王廟”が建立され、ここには縛られた秦檜らがひざまずく像がある。
少し昔までは、この像に唾棄するのが風習となっていた。現在の中国でも、“救国の英雄”と言えば、まず岳飛の名が挙げられる。一方、秦檜は売国奴の代名詞となった。
1996年の金牌
1996年の旧正月明けに始まった株式相場の過熱を抑えるため、岳飛のように勇猛果敢な投資家たちを撤退させようと、証券当局は“金牌”を連発した。
CSRCは1996年7月24日に「関于規範上市公司行為若干問題的通知」(上場企業の行為を規範化することについて若干の問題に関する通知)を発表。上場企業の配当政策や情報開示に対する統制を強めた。これは最初の“金牌”だった。
2番目の“金牌”は、国務院証券管理委員会が出した。8月21日に「証券交易所管理弁法」(証券取引所の管理弁法)を発表。証券取引所の職責を明確にすることで、市場の秩序を維持する方針を示した。なお、“弁法”とは最高行政機関の国務院などが行政立法権を行使して定立する法規命令や行政規則を意味する。
その翌日の8月22日にCSRCは「関于堅決制止股票発行中透支行為的通知」(株式発行中の貸付行為を断固制止することに関する通知)と「関于厳禁操縦信用交易的通知」(信用取引による相場操縦の厳禁に関する通知)という二つの“金牌”を同時に発表。新株購入に対する資金の貸し付けや信用取引を厳しく取り締まると警告した。
当時のCSRC主席だった周道炯
(1995年8月7日)
それでも株式市場の過熱感は収まらなかった。そこでCSRCは10月25日に「証券経営機構証券自営業務管理弁法」(証券経営機構による自己売買業務の管理弁法)を発表。証券会社などの自己売買に対する監督管理を強化した。
10月31日には「関于厳禁操縦市場行為的通知」(相場操縦行為の厳禁に関する通知)を発表し、相場操縦などの厳しく取り締まる方針を明らかにした。
11月24日には「関于防範運作風険、保障経営安全的通知」(運営リスク防止、経営の安全性の保障に関する通知)を発表。商いの急増を受けたシステム負荷の増大や証券会社の役職員による違法行為について、危機感を露わにした。
このほかにも、以下のような通知が出された。
・「関于進一歩加強市場監督的通知」(市場の監督をさらに強化することに関する通知)
・「関于加強証券市場稽査工作、厳厲打撃証券違法違規行為的通知」(証券市場の査察作業、証券をめぐる違法違反行為に厳しい打撃を与えることに関する通知)
・12月6日発表の「関于加強風険管理和教育工作的通知」(リスク管理と教育作業の強化に関する通知)
90年代から上海市の個人投資家が集まる広東路
株式相場をめぐり熱い議論が交わされる
これら8つの通知と2つの弁法には、当初から“規範”、“管理”、“堅決制止”(断固制止)、“防範”(防備)、“厳禁”などの言葉があふれていた。しかし、こうした“十道金牌”を尻目に、株式市場はますます過熱。やがてCSRCが使う言葉もヒートアップし、“厳禁操縦”(相場操縦を厳禁)、“厳厲打撃”(厳しい打撃)などの強い言葉が使われるようになった。
これら“十道金牌”に効果がないことに、CSRCなど証券当局は業を煮やした。そこで、切り札とも言える二つの“金牌”を叩きつけた。
11番目の金牌
1996年12月16日付「人民日報」 中国共産党(共産党)の機関紙「人民日報」は、1996年12月16日付の一面に「正確認識当前股票市場」(目下の株式市場を正確に認識しよう)という社説を掲載した。資本主義の象徴である株式市場をテーマとする社説が「人民日報」に掲載されるのは、これが初めて。これまで地方政府に任せきりだった証券市場だが、共産党と中央政府による監督管理が本格化することへの宣言だった。これが11番目の“金牌”だった。
この社説の序文には、当時の株式市場をめぐる状況が、以下のようにまとめられている。
“1996年4月から株価が回復に向かったが、10月からは暴騰に至った。4月1日から12月9日にかけて上海総合指数は上昇率が120%に達し、深圳成分指数に至っては340%に到達。こうした例は世界の証券市場を見回しても、非常にまれだ。”
“目下の社会状況を見れば、人々は株式投資の話題で持ちきりとなり、競うように取引を始めた。ここ数カ月で証券口座の新規開設者は800万人を超え、投資家の総数も2,100万人を突破した。都市人口に対する投資家の割合は、かなりの大きさとなった。”
社説の序文では、このように現状を分析。そのうえで、中国の金融市場において、株式市場が重要な構成要素であると認めた。
投資家と政府の金融リテラシー
株価収益率(PER)は上場企業の利益に対する株価の倍率を示す。PERが高いほど、株価が割高な状態にあることや相場が過熱していることを意味する。上場株式のPERは、株価を1株あたり純利益(EPS)”で割って算出する。EPSとは上場企業の純利益を期中平均の発行済み株式総数で割ったものであり、損益計算書(PL)には必ず明記されている。株価が100円で、EPSが10円の場合、PERは10倍となる。
また、PERは上場企業の時価総額を純利益の総額で割って計算することもできる。ある証券市場全体のPERを計算することも可能。証券市場全体の時価総額を上場企業の合計純利益で割ることで求められる。
個人投資家にとってPERは当たり前の知識だが、株式投資と無縁な人にとっては、訳の分からない数字だ。日本の一般的なテレビ番組や新聞記事で、説明なしにPERという言葉を使うのは難しいだろう。
しかし、上記の社説では、PERという言葉を当然の知識として使い、足元の株価上昇がいかに“不合理かつ非理性的”なのかを以下のように指摘した。
“中国本土の株式市場で今年は急速に株価が上昇しているが、これには合理的な根拠もある。海外の株式市場でも広く株価が上昇していることに加え、中国経済が明らかに好転しているからだ。しかし、最近の暴騰は異常であり、非理性的だ。”
“中国本土市場のPERを海外市場と比べてみよう。12月9日は上海市場の平均PERが44倍で、深圳市場が55倍だ。一方、世界の株式市場のPERはどれも20倍前後。ニューヨーク市場は19倍、ロンドン市場は17倍、ドイツ市場は29倍、香港市場は18倍、シンガポール市場は21倍だ。中国本土市場は明らかに割高であり、過熱している。”
このようにPERというエビデンスを使い、中国本土市場がいかに過熱しているのかを説明している。共産党、政府、個人投資家も含めた中国本土の金融リテラシーは、1996年時点で現在の日本よりも高度に思える。
株価容認論を排除
しかし、上場企業の業績が好調であり、将来のEPSが増大すると予想されるのならば、現時点での高いPERが許容されることもある。例えば、現在の株価が100円で、EPSが5円の場合、PERは20倍だ。
こうしたなか、今期の純利益が前年の倍になる見通しであるならば、EPSは単純計算で10円になると予想される。この上場企業のPERは20倍が正常値であると考えられるならば、予想EPSに合わせて、株価も上昇してしかるべきだ。EPSが10円で、20倍のPERが正常値であれば、株価は現在の100円ではなく、200円であるべきという予想に至るだろう。
この予想を先取りして買いが入ると、EPSはまだ5円なのに、株価は200円くらいまで上昇し、PERが40倍となってしまう可能性もある。この場合、将来の業績が見込まれているので、たとえPERが40倍であったとしても、200円の株価を維持できる可能性も高い。
逆に、EPSが10円になるという予想が崩れた場合、200円という株価を維持することは難しくなり、下落することになる。
一般的に株価は将来の業績を見込んで決まる。株価指数が“景気動向の先行指数”であるゆえんだ。こうした理屈に基づけば、1996年に起きた中国本土市場の株価高騰が、将来の業績を先取りしたためという見方も可能だ。こうした“株価容認論”に対し、社説は以下のように反論した。
“1995年の上場企業の平均EPSは0.25元であり、1996年上期は0.14元にすぎない。つまり、上場企業の業績は、現在のような高い株価を長期的に支えることができない。”
この社説の説明が、どう意味なのかを解説しよう。1996年下期のEPSも上期と同じく0.14元と仮定する。この場合、単純計算で1996年全体のEPS0.28元ということなり、1995年と比べれば12%増加したことになる。
個人投資家が集まる上海市の証券会社
(2009年8月3日)
この場合、株価が前年比で12%上昇するのであれば、PERは1995年と同水準ということになる。しかし、序文で説明したように、上海総合指数は上昇率が120%に達し、深圳成分指数に至っては340%に到達。いくら業績を先取りしたとしても、株価が上昇しすぎていることは明白だ。これが“業績が株価を支えることができない”という意味だ。
こうした説明からも、金融リテラシーの高さがうかがえる。
株式投機熱を指摘
このように株価が割高であり、相場が過熱していることを丁寧に説明したうえで、その背景に投機熱があることを社説は以下のように指摘した。
“1996年に入ってから、株式市場では違法行為やルール違反が増加しており、特に下期になってから顕著。これが株価の急騰と出来高の激増に、密接に関係している。”
“株式市場では全面高が頻発し、特に10月以降は “ゴミ銘柄”でさえ株価が高騰している。上海市場と深圳市場の日平均売買代金は、9月は87億元ほどだったのに、12月には200億元以上となった。”
証券会社の情報端末を操作する個人投資家
(2004年4月)
“12月5日に至っては350億元に達し、香港市場の最高記録の約3倍に膨らんだ。中国本土市場の株式時価総額は、香港市場の1割に過ぎない。これは株式投資が、過剰なまでに投機的になっている証拠だ。”
社説は直接的に言及していないものの、 “売買代金回転率”という指標を使って、中国本土市場の投機的な状況を説明している。
売買代金回転率とは、一定期間の売買代金を時価総額で割って算出する指標だ。例えば、ある市場の1年間の売買代金が100兆円で、時価総額が50兆円だった場合、売買代金回転率は200%になる。言い換えれば、“1年間ですべての株式が2回買われるほどの売買があった”ということ。売買代金回転率が高いほど、その市場の投機性が高いということになる。
社説の説明だと、中国本土市場は売買代金が香港市場の3倍なのに、時価総額は1割ほど。単純に考えれば、中国本土市場の売買代金回転率は、香港市場の30倍ということであり、明らかに投機的だ。
投機熱の原因
社説は投機熱の原因として、株式市場で違法行為やルール違反が増加していると、具体的に指摘した。それを見れば、当時の中国本土市場の未熟ぶりがよく分かる。
“機関投資家や大口投資家による相場操縦が横行している。大口投資家が巨額の買い注文で株価を押し上げると、それに個人投資家が追随。さらに株価が上昇したところで、大口投資家は一気に売り抜ける。”
“そうした大口投資家の多くは国有企業であり、その地位やコネクションを利用し、暴利をむさぼっている。リスクを考えずに、巨額の資金を使い、勝てば大儲けだが、負ければ国家に大損害という状況だ。これは国有企業の制度改革を進める過渡期で起きた中国本土市場に特有の現象と言えるだろう。”
“銀行は違法な融資を実行している。株式の新規公開(IPO)が始まると、大手の国有銀行が大口投資家に新株購入の資金を違法に貸し付けている。こうして銀行から巨額の資金が株式市場に流れ込み、株価を押し上げている。”
“証券会社でも違法な融資が横行。新株購入の資金を大口投資家に貸し付けていることが明らかとなっている。”
“メディアも投機熱を煽っている。一部の新聞社、ラジオ局、テレビ局は、相場情報の記事や番組を手がけているが、投資リスクの注意喚起はほとんどない。ある番組などは風説の流布に加担し、投資家を誤認誘導している。一部の出版物は「大相場で大儲け」など、無責任な言葉で読者を集め、利益を貪っている。”
株価の暴落に戦慄する投資家
1990年代初めの広東省深圳市
“誤った方向に個人投資家を誘導する雰囲気が広がっている。永遠に値上がり続ける株式市場は存在しない。株価は変動するし、暴騰暴落も起こり得る。どの国の市場にも例外はない。現在の投資家の多くは、株価上昇期に投資を始めた入門者であり、痛い目に遭ったことがない。そのためリスク意識が低く、簡単に雰囲気に呑まれ、株価が下落しないと信じ込む。”
社説はこのように投機熱の原因を分析したうえで、株式相場には暴騰暴落が付き物であると、個人投資家に注意を喚起。1987年10月の“ブラック・マンデー”や日本のバブル崩壊のほか、誕生から数年内に起きた中国本土市場の株価急落を例に挙げ、その深刻な後遺症を思い出すよう個人投資家に呼び掛けた。
銀行預金へ誘導
社説は株価暴騰の一因に、金融政策の影響があったことも認めている。物価上昇が鎮静化に向かったことで、1996年4月から預金金利へのインフレ補填を止め、さらに利下げを実施したことが、株式投資ブームにつながったという。
それによると、1995年の1年物定期預金金利は、インフレ補填後で年利10.98%。これに対し、同年の消費者物価指数(CPI)は14.8%上昇しており、3.82%の“実質マイナス金利”に陥っていた。これは預金の購買力が失われる状態だった。
1995年12月20日に開業した上海第一ヤオハン
初日は107万人が来店し、ギネス世界記録に
一方、1996年は1年物定期預金金利が7.47%に引き下げられた。これを受け、1995年の印象が残る人々は、実質マイナス金利がさらに進んだと思い込み、株式投資に走った。しかし、1996年のCPI上昇率は実際のところ6.2%であり、1.27%の“実質プラス金利”となっている。
金融政策のせいで実質マイナス金利が進んだというのは“誤解”であり、銀行預金が現在のところ、最も収益が安定し、安全性が高いと強調した。
この実質マイナス金利という言葉を使った社説だが、現在でも日本人の多くがその意味を知らないのではないかと感じる。現在のように物価が上昇するなかでも、元本割れがある株式や投資信託での資産運用を過剰なまでに恐れ、銀行預金が最も安全と信じ込んでいる日本人は多い。預金の金額が変わらなければ、資産が守れていると信じ込み、購買力の低下などは、考えたことがないのかも知れない。
実質マイナス金利に対する意識の差を見ても、中国人の方が日本人よりも全体的に金融リテラシーが高いことが分かる。
未熟な市場
このように社説は株価暴騰の現状の原因を分析したうえで、中国本土市場が未熟な成長段階にあると指摘した。そこで、成熟した段階に向かうため、“八字方針”(八文字の方針)を守るよう呼びかけた。この“八字方針”は国務院が定めたもので、“法制、監管、自立、規範”を意味する。
過度な投機熱をさらに抑えるため、“八字方針”を堅持しながら、以下の作業を進めると表明した。
【1】さらなる監督管理の強化
【2】違法案件の公開処分を継続
【3】制限値幅制度の実施と情報開示制度の完備
【4】不都合行為者制度の構築
【5】リスク管理の強化
【6】上場株式の供給増加
【7】世論誘導作業の徹底
【8】集中的で統一された管理体制の実施
こうした措置は、当時の現状を考えれば至極当然であり、むしろもっと早く実行すべきだったと言えるだろう。確かに、当時の中国本土市場は、社説が指摘するように未熟だった。
証券会社に集まった上海の投資家
株価検索の手段はスマホに変った
背後に「股市有風険」(株式市場にリスクあり)の警告
90年代と違い、リスク管理が義務づけられている
(2015年7月)
だが、株式市場の発展を地方政府が主導する状況下では、こうした措置を講じることはが難しかった。発展一辺倒の地方政府は、リスクよりも地元の利益を意識し、規制に消極的になりがちだからだ。実際に上海市場や深圳市場では、取引所の開業から短期間内に多くの規制が撤廃され、それが地方経済の発展に寄与した。
一方、中央政府は国家全体を視野に入れた利害調整機関でもあり、規制を策定するのは、お手のものだ。
すでに上海や深圳の証券市場は、地方だけではなく、国家全体に影響を及ぼすまでに成長した。証券市場をめぐるリスクも国家レベルとなり、地方政府から中央政府へのバトンタッチは必然だったと言えるだろう。
未来への希望
このように未熟さを認めたうえで、社説は中国本土市場の未来に希望を託し、以下のように締めくくっている。
“道は曲がりくねっているが、前途は光に満ちている。中国の証券市場は未熟な段階から成熟した段階へ向かい、無秩序な状態から整えられた状態へ進むだろう。その課題は重く、はるかな道のりだ。このように現在の証券市場には多くの問題や悪弊があり、我々の仕事は多くの困難に直面している。”
“しかし、鄧小平が打ち出した「中国の特色ある社会主義理論」に従い、共産党中央委員会や国務院の方針や政策を完遂しつつ、経験から教訓を読み取り、衆知と衆力をもって、怠ることがなければ、中国の証券市場は徐々に整えられ、健全な発展が可能となり、社会主義市場経済の発展に貢献することができるようになるだろう。”
証券市場をめぐる今後の政策は、共産党と中央政府により、この社説で示した通りに進むことになった。
12番目の金牌
12番目の金牌は、上記の社説でも触れられた制限値幅制度の実施だ。これは実施というよりも“復活”と言える。
深圳証券取引所は1990年12月1日に中央政府の許可を得ていないまま、“見切り発車”した。そうした“いわくつき”の開業から半年が過ぎたばかりの1991年6月8日に、不動産デベロッパーである万科企業の株価に限り、制限値幅が撤廃された。それらか2カ月あまりが過ぎた8月17日には、深圳市場の全銘柄について、制限値幅が撤廃された。
深圳市場の制限値幅が全面撤廃された背景には、この連載の第十六回で紹介したように、売買の低迷があった。
一方、上海証券取引所は1991年12月19日に、中央政府の許可を受けて開業した。深圳証券取引所に触発され、1992年2月18日から一部の銘柄について、制限値幅を撤廃。それから3カ月後の5月21日には、全銘柄の制限値幅が解除され、この日の上海総合指数は前日比105.3%高を記録した。
このように上海市場と深圳市場では、開業から早々に制限値幅が撤廃された。しかし、1996年12月16日付の「人民日報」に掲載された社説の通り、制限値幅が復活することになった。制限値幅の復活は12月13日に発表され、社説が掲載された12月16日から実施された。1日の株価変動は前日終値に対して上下10%以内となった。
十二牌金道の効果
12番目の金牌が出る前から、その予兆は株式相場に表れていた。1996年12月12日に上海総合指数はしだいに売りに押されるようになり、前日比5.4%安で終了。翌日の12月13日も大幅続落し、終値は5.7%安だった。
制限値幅が復活し、「人民日報」に社説が掲載された週明けの12月16日は、ほとんどの銘柄がストップ安となり、9.9%安を記録。翌日の12月17日も9.4%安となり、13営業日ぶりに1,000ポイントの大台を割った。12月の12日から17日までの4日続落で、上海総合指数は339ポイントと下落した。
株価の急落を受け、不機嫌な北京市の投資家
(1996年12月19日)
深圳市場の状況も同じだった。深圳成分指数は12月の12日から17日まで4日続落となり、この間の下げ幅は1,080ポイントに達した。この大暴落の結果、1,200億元に上る投資家の保有資産が“蒸発”した。
1996年の中国本土市場は、終盤で大暴落を経験したが、年間を通じては大幅に上昇した。上海総合指数の年間上昇率は65.1%で、深圳成分指数に至っては225.6%に達した。1997年1月に入ると、株式市場も復調し、同年4月までに大暴落前の水準を回復。証券当局は再び投機熱の抑制に追われることになった。
無秩序からの健全化
中国本土の証券市場は、改革開放の始まりとともに自然に萌芽し、あっという間に全国に広がった。そうした動きを中央政府は放置し、是非の判断を示さなかった。証券市場は地方政府の主導で発展したが、1995年2月23日の327国債先物事件を機に、中央政府の管理下に移行した。
野放しで成長した証券市場に対し、中央政府はさまざまな規制を施した。しかし、それは証券市場の弾圧ではなく、無秩序な状態を整理し、健全な発展を促すための措置だった。その結果、中国本土の証券市場は成長が続き、その規模は日本を超え、米国に次ぐ世界2位となった。
証券とITの成長過程に見られる類似点
アント・グループのQRコード決済サービス
「支付宝」(アリペイ)
こうした証券市場の成長過程に似ているのが、中国本土のIT業界だ。この20年ほどでアリババ(阿里巴巴)やテンセント(騰訊)などのIT企業は、卓越した創業者の手腕によって急成長を遂げた。やがてIT企業はQRコード決済に代表される金融分野に足を踏み入れ、その業務は“フィンテック”と呼ばれた。
フィンテックに参入したIT企業は、膨大なサービス、資金決済、物流、データなどを取り扱うようになり、やがて“プラットフォーム会社”に発展。人々の生活に不可欠な存在となった。
フィンテックを手がけるプラットフォーム会社は、人々から資金を預かり、やがて融資や保険のような業務も手掛けるようになる。“アリババやテンセントは、IT企業なのか、それとも金融会社なのか?”その属性は曖昧であり、どこがプラットフォーム会社を監督管理するのか明確ではなかった。
こうしたなか、アリババ傘下のフィンテック会社であるアント・グループ(螞蟻集団)が、2020年に上場準備を本格化させた。そのなかで上海証券取引所が2020年9月に指摘したのが、“監督管理政策の変化が及ぼすコンプライアンス(法令順守)の難易度上昇”だった。
アント・グループの事業は金融と密接に関連している。金融をめぐる監督管理政策が変化した場合、それをアント・グループが順守できるのが問題だった。上海証券取引所の疑問に対し、アント・グループは法令順守の難易度が上がるものの、経営の継続に重大な影響を及ぼすことはないと回答した。
アント・グループは上海証券取引所と香港証券取引所に同時上場することが決まった。上場日は2020年11月5日。だが、その2日前の11月3日にアント・グループの上場見送りが発表され、世界の金融市場が騒然となった。
上場見送りの理由は、アント・グループに対する監督管理政策の変化。それにより、上場要件や情報開示基準を満たせなくなるという説明だった。
フォーラムで中国の金融を批判した馬雲
(2020年10月20日)
アント・グループの上場見送りについては、2020年10月20日に上海市で開かれたフォーラムで、アリババの創業者である馬雲(ジャック・マー)が、中央政府の金融監督管理を批判したためという見方が広がった。
確かに、このフォーラムでの発言は、上場見送りの引き金になったかも知れない。しかし、アント・グループのフィンテックをめぐる監督管理の問題は、それ以前から指摘されていた。
その後、中国本土ではIT業界に対する大規模な検査が実施された。問題が見つかれば、改善措置が命じられたり、罰金が科されたりした。
こうした動きについて、共産主義の脅威を煽りたい米国のボイス・オブ・アメリカ(VOA)やラジオ・フリー・アジア(RFA)は、アリババが国有化されるなどの観測記事を大々的に流した。日本のメディアもVOAやRFAの記事を引用し、中国政府がIT企業を“弾圧”しているかのように報じた。
しかし、中国本土の証券市場の歴史を知っていれば、IT業界に対する検査などが、無秩序な発展段階から健全な発展段階に向けた措置であることが理解できる。アント・グループの上場見送り後も、共産党は民営IT企業の健全な発展をたびたび提唱しており、VOAやRFAが報じているような国有化などには至らないだろう。
過去を知ることは、未来の方向性を探るうえで有益だ。“温故知新”という言葉もあるように、新しいことを知るうえでも、古いことを調べるのは役に立つ。人々が歴史を学ぶ価値は、そこにあると思う。中国や中国市場の未来を考えるうえで、その歴史を紹介する本連載が参考になれば、幸甚である。
中国情報の取り扱い
RFAで働く6人のウイグル人記者
(2018年)
最後に余談だが、VOAやRFAを平たく言えば、海外に向けた米国の政治宣伝(プロパガンダ)を手がけるメディアだ。YouTubeなどでCCTVの動画を見ると、「CCTV は中国政府によりその全体若しくは一部の出資を受けています」という警告文が現れるが、RFAやVOAの動画にも「RFA (VOA)はアメリカ政府によりその全体若しくは一部の出資を受けています」と表示される。
北京大学の芝生で民主主義を語る方励之
(1988年5月4日)
RFAやVOAの中国情報に深く関与しているのが、この連載の第四十九回と第五十回で紹介した陳破空だ。
陳破空は上海市の同済大学に在籍していた1985年に、中国の民主化を訴える方励之の主張に共鳴。陳破空は全国の大学に方励之の思想を広め、それは“八六学潮”と呼ばれた1986年12月の学生運動や1989年6月に起きた天安門広場での抗議活動へつながった。
天安門事件が起きると、方励之は北京市の米国大使館に庇護を求め、ここで1年あまり匿われた。米中の外交交渉の結果、方励之は米軍機で出国することが決定。1990年6月25日に中国本土を離れた後、米国に移住した。
陳破空は1989年に天安門広場の学生と連携し、広東省広州市の中山大学で民主化運動を展開。これが原因で逮捕され、刑務所に入れられた。出獄した後、陳破空は方励之を追うかのように、米国に移住。RFAなどで活動するようになった。
法輪功メディアのNTDTVに出演する陳破空 米国に渡った陳破空は、反共産党のネットワークに加わった。チベット人やウイグル人の海外組織、海外逃亡した民主活動家、米国に亡命した李洪心が率いる法輪功、台湾の民主進歩党(民進党)などと、しばしば連携。RFAやVOAなどで、中国関連のネガティブな情報を頻繁に流している。
米国議会議事堂で“集団練功”する数千人の法輪功信者
(2018年6月20日)
近年はYouTubeや法輪功のメディアである新唐人電視(NTDTV)でも活動している。なお、NTDTVはCCTV、RFA、VOAなどと違い、警告文は表れない。
台湾の蔡英文・総統と握手する陳破空をRFAが報道
(2019年6月3日)
RFAやVOAが流す中国情報の背後には、陳破空などのグループが存在する。しかし、“共産党憎し”で結集したネットワークからの情報には、それなりのバイアスがかかっており、信憑性が疑われるような内容も多い。また、1990年代に米国に渡った人物が多いせいか、当時の中国の状況を前提としたような情報も流れ、現状を知る者にしてみれば、違和感を覚えることすらある。
しかし、ここ数年の日本で流れる中国関連のネガティブ情報を見ると、RFA、VOA、NTDTVを出所とするものが多い。そのうえ、裏づけを取らないまま、引用されるケースも目立つ。
米国の政治家でさえ、RFAやVOAからの中国関連情報を鵜呑みにし、それを根拠に中国を非難している。もっとも、彼らはバイアスがかかっていることは百も承知で、上手く政治利用しているだけなのかもしれない。
ケンブリッジ大学で講演する陳破空
(2018年5月3日)
情報は思考や判断の源泉だ。情報が誤っていると、思考や判断を間違う。ましてや情報に誰かの思惑が込められていれば、その人の思い通りに思考したり、判断したり、場合によっては行動したりする。中国情報にはさまざまな思惑が込められていることが多く、その取り扱いには注意を要する。