コラム・連載

内藤証券中国部のキーマンが見た「中国株の底流」

株券狂想曲と中国株の存続危機

2017.12.5|text by 千原 靖弘(内藤証券中国部 情報統括次長)

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最初は株券売買に冷淡だった深圳市民だが、それが信じられないくらいに儲かることが分かると、打って変わって熱狂した。その情報は全国に伝わり、1990年に入ると大混乱を引き起こした。

そのころの深圳市の株式市場は、“三家五股”の体制となっていた。“三家”とは株券の店頭取引が可能な3つの金融機関を指す。“五股”とは店頭取引されていた株券5銘柄のこと。それは以下の通りだった(年数は株券の発行年)。

深圳発展銀行の株券 深圳万科企業の株券 金田実業の株券 安達運輸の株券 原野実業の株券 【三家】
・中国人民銀行深圳市分行特区証券公司(深圳経済特区証券公司)
・中国銀行深圳国際信託諮詢公司(中行証券)
・深圳国際信託投資総公司(国投証券)

【五股】
・深圳発展銀行股份有限公司(深圳発展銀行):1987年
・深圳万科企業股份有限公司(万科企業):1988年
・深圳市金田実業股份有限公司(金田実業):1989年
・蛇口安達運輸股份有限公司(安達運輸):1989年
・深圳原野実業股份有限公司(原野実業):1990年

これらの5銘柄は深圳証券取引所が開業した後、“老五股”と呼ばれることになる。

配当が投資家を刺激

深圳発展銀行が1989年に1988年度の配当案を発表し、これが人々の株券に対する見方を一変させたことは、この連載の第十回でも触れた。人々は争うように株券を買うようになり、1990年2月ごろから売買代金は異常な増加をみせた。1990年の1-3月は3カ月合計で3,600万元だったが、4月は1カ月で3,100万元となった。5月には1億1,700万元に膨らみ、6月は2億6,000万元に達した。

調査によると、深圳発展銀行の株価は4月に176.78元に達し、発行時の価格に比べ784%高だった。その後、株式分割と株式配当を実施。6月末の株価は4月に比べ598%高となった。そのほかの4銘柄も発行価格に比べ、数百パーセント上昇していたという。

株券の闇市が自然発生

株券を買いたいという人々の需要に対し、“三家五股”という数では対応できなかった。こうした需要と供給の不均衡が、株価急騰の背景にあった。店頭で株券を買えなかった人々は、それでも入手できる手段を求める。1990年3月ごろになると、深圳市の各地に株券の闇市が公然と出現するようになった。

闇市は市内の各所にあった。例えば、オフィス、レストラン、鉄道駅、公園、路上など。それまでの中国本土では、財産を人に見せないのが一般的だったが、闇市では多くの人が多額の現金と株券を握りながら取引していた。

闇市間の裁定取引

証券会社に殺到する人々(1989年) 市内各所に乱立した闇市では、どこも株価が違っていたので、その価格差を利用した裁定取引が横行した。「公園で買って、レストランで売り、鉄道駅で再び購入し、港で売却する」――といった具合だ。こうした取引にいそしむ人たちは、最初こそ自転車で動いていたが、やがてオートバイや自動車を利用するようになった。

各地の価格差を知る手段も、短期間で進歩した。最初は公衆電話で連絡を取り合っていたが、それがトランシーバーになり、携帯電話を使う者も現れた。携帯電話は高価であり、それを持つことは富の象徴だった。

その当時の携帯電話は“大哥大”と呼ばれた。“大哥”とはヤクザ社会のアニキを指す言葉であり、携帯電話を持った人がどんな姿をしていたのか想像できる。

株券を買いたいという需要は旺盛で、闇市の株価は店頭市場の2倍ほどだったが、うなぎのぼりで上昇した。銀行から次々と現金が引き落とされ、その大部分が闇市へ流れ込んだ。その一方で店頭取引での取引は閑散となった。

職場放棄が横行

会社の従業員や役所の公務員も、株券ブームに巻き込まれた。退勤後ではなく、勤務時間中も株券を買いに出かける人が現れた。やがて、「なんで出勤するの?株だよ、株!株券を買わなきゃ、深圳の貧乏人は、あんただけになっちまうよ!」と、同僚を刺激しあうようになり、多くの市民が闇市に身を投じた。

会社や役所はガラガラ状態。街は人であふれ、交通はマヒ。街の秩序を守るため、警察官も出動した。「詐欺に注意!闇市での株券売買はやめましょう!」とスピーカーで呼びかけても、まったく無駄だった。株券売買は昼夜を問わず市内各地で行われ、株価はどんどん上昇した。

深圳市民、それに全国から集まった人々は、投資に対する心理的な免疫がなく、まったくの無防備の状態。「株券さえ買えば、大金持ちになれる!」と無邪気に信じ切っていた。上海市にも株券投資ブームが到来したが、熱狂度は深圳市ほどではなかった。それは、上海市民が戦前の金融街の記憶を通じ、投資の恐さも知っていたからだろう。投資の恐い面を深圳市民は知らなかった。

矢継ぎ早の株価抑制策

こうした深圳市の混乱ぶりは北京市の中央政府の知るところとなり、1990年5月の中旬に現地調査を実施。深圳市政府も株価の抑制と闇市の取り締まりに向けて動いた。

5月29日に深圳市政府は店頭市場以外での株券売買を禁じると通告。同時に、株券の保有者と株主名簿の名義が一致するよう名義書換手続きの厳格化を指示した。この時に初めて制限値幅制度が導入され、株価は前日終値の上下10%以内で取引することが決まった。

6月中旬に中央政府は株式の公募をともなう株式制改革を一時停止すると発表。これは中国本土で初の株式IPO(新規公開)の停止措置だった。IPOの停止は今日の株式市場では好材料だが、その当時は株式制の存続危機が連想され、悪材料として受けとめられた。

こうした引き締め策は効果がなかった。そこで深圳市政府は6月7日付から0.5%の委託手数料を買付者と売付者の双方から徴収すると発表。6月18日から制限値幅を上下5%に縮小する措置も打ち出した。

それでも効果がなかったため、深圳市政府は6月26日から制限値幅を上1%、下5%に再調整。“株価の下落は許すが、上昇は許さない”という姿勢を明確にした。なお、1カ月以内に3度も制限値幅を調整したのは、後にも先にもこの時だけ。しかし、これほどの措置を打ち出しても、株価を抑えることはできなかった。

株式制反対の声が中央政府に

7月に「人民日報」は「深圳市の株券市場は、狂気が感じられるほど加熱しており、潜在的な問題が懸念される」という内容の報告書を作成。「株券市場のせいで、政府機関は“もぬけの殻”だ」と、深圳市政府の混乱ぶりを指摘した。

この報告書を見た政府要人からは、「株券などというものは資本主義の産物であり、中国で広めることはできない。ただちに市場を閉鎖すべきだ」といった意見も噴出。中央政府は再び調査チームを深圳市に派遣した。

深圳市から中央政府に届いた匿名の手紙も、政府要人の間で回覧された。その手紙には、このようなことが書かれていた。「株券市場は早めに閉鎖すべきだ。いまの深圳市には資本主義が氾濫しており、党幹部はみな腐敗してしまった。このままでは深刻な社会問題を引き起こすだろう。どれほどの数の人が自殺することになるか、分かったものではない」――。

この手紙の存在を知った深圳市の幹部は震え上がった。萌芽したばかりの株式制だが、その芽が摘まれる瀬戸際にあることは明白だった。

こうした中央政府からのプレッシャーもあり、1990年7月1日には配当金のうち1年物の預金金利の利子を超える部分に対し、10%の個人収入調整税を課す制度が導入された。同時に株券を売却した際に、0.6%の印紙税を徴収することになった。印紙税が相場調整のツールとして使われたのは、中国本土ではこれが初めてのケースだった。

一連の政策により株価はやや下落したものの、すぐに下げ止まった。このころから、深圳市政府が闇市の取り締まりを強化するという噂が流れ始めたが、それでも売買代金は増加し、株価も再び上昇した。

幹部の株券売買禁止

中央政府に糾弾されることを恐れた深圳市の幹部は、10月から処級(課長級)以上の党幹部の株券売買を禁じると決定。深圳市の処長(課長)たちは、科長(係長)を羨んだ。

しかし、市の幹部はこの決定の通知を拒み続けた。当初は冷え込んでいた相場を盛り上げるために、市が公務員の株券売買を組織的に奨励していたからだ。それなのに、いまさら株券の売買を止めろとは言いにくかった。

この決定をめぐる噂は街中に広がった。「市の幹部が株をやらないと、安心感が湧かない」というような投資家の声も聞かれ、市政府内でも意見が分かれた。

11月に中央政府は深圳市の闇市撲滅をめぐる会議を開き、再び株価の引き下げに着手。11月15日付「深圳特区法」の株価一覧の下方に「政府は市民に忠告する。株券投資のリスクは自ら負うものであり、株券を買うという選択肢は慎重に取るべきである」という一文を掲載した。

11月20日に制限値幅は上0.5%、下5%に調整された。0.6%の印紙税は、株券の売却時だけではなく、買付時にも徴収することになった。深圳市政府の幹部も株券市場の閉鎖や中央政府からの責任追及を恐れ、ついに持ち株の売却を開始した。

11月21日には深圳市工商行政管理局が声明を発表し、「証券市場の場外における違法取引に、断固として打撃を加える」という方針を示し、ついに株価は12月に入ると下落し始めた。その後、約9カ月にわたって株価は下落を続け、約8億元に上る時価が蒸発することになる。

株価の上昇しか慣れていなかった深圳市民が、初めて暴落を味わった。楽観ムードは消え去り、悲壮感を抱きつつ、年末を迎えることになった。

深圳市の1990年は熱狂と混乱を経て、不安のうちに幕を閉じた。まさに“株券狂想曲”だった。この年の全国の株券売買代金は18億元に上ったが、その98%に当たる17億6500万元が深圳市での取引だったという。

株券の存亡をかけた熱弁

劉鴻儒に話し合いを持ちかける江沢民
(1990年11月)
飛行機内で語り合う江沢民と劉鴻儒
(1990年11月)
1990年11月26~28日に江沢民・総書記は深圳市と広東省珠海市を訪問し、深圳経済特区と珠海経済特区の創設10周年式典に参加。同行していた中国人民銀行(中央銀行)の劉鴻儒・副総裁に声をかけ、帰りの飛行機で株券市場について話し合おうと持ちかけた。機内には中央政府の重要メンバーが顔をそろえていた。

「株券市場のカネは、いったいどこから湧いてくるのだ?株価はどのように決まっていくのかね?なぜ、こんなに高い?」――。江沢民はこの年の6月にも深圳市を視察しているし、一連の問題についての報告も受けているのだが、そのうえで劉鴻儒・副総裁に次々と質問を投げかけた。これは株式制の存亡を決める尋問だった。

それを理解したうえで劉鴻儒・副総裁は、「95%は個人のカネです。庶民がカネを出して株券を買っているのです。株券の60%は引き続き国家所有や集団所有となっていますので、わが国の所有制に影響はありません。株価は主に需要と供給で決まります。株券が5銘柄しかない一方で、カネはたくさんあるからです」と、言葉を選びながら慎重に見解を述べた。

「幹部や共産党員が株券を買うのはどうする?どのように監督管理するというのだ?」と、江沢民は中央政府が危惧している質問も投げかけた。

これに対し、劉鴻儒・副総裁は熱弁をふるった。

“株券市場の試験導入を取り止めてはなりません。一時的に拡大を停止することは可能ですが、撤廃してはなりません。もし株券市場を撤廃すれば、それは後退として海外に受けとめられ、改革のイメージに大きく影響するでしょう”

“江総書記、どうか信じてください!われわれ古参の共産党員が、中国で私有制を繰り広げることはありません。中国の国情に合った社会主義体制の下で、資本市場を発展させる方法を探してみせます!”

“もちろん、われわれには何の経験もないので、おかしな方向に進んでしまうこともあるでしょう。しかし、ちょっと問題が起きたからと言って、政治的レッテルを貼って批判するようなことだけは、おやめください。そんなことをすれば、改革を進める人は、もう誰もいなくなってしまいます!”

2時間にわたる空の旅は終わり、飛行機は北京市に到着した。江沢民は飛行機から降りる直前、「株券市場の試験導入は継続する。ただし、拡大は一時停止。それでよかろう」と、劉鴻儒・副総裁に言葉をかけた。かくして、中国株は存続を許された。

 
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  77. 00. はじめに

筆者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券中国部 情報統括次長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。


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